おもちゃの交響曲 (Toy Symphony) はオーストリア、チロル地方出身の作曲家でベネディクト会の神父エドムント・アンゲラー(Edmund Angerer, 1740年5月24日-1794年8月7日)が1770年ころに作曲した、いわゆる "Berchtolds-Gaden Musick"(ベルヒテスガーデンの玩具店製のおもちゃを加えた音楽を意味する造語)とよばれる、三楽章からなる小交響曲である。『こどもの交響曲』(Kindersymphonie)とも呼ばれる。
迷走した作曲者探し:
『おもちゃの交響曲」の真の作曲者探しは迷走に迷走を重ねた。自筆譜が存在しないこと、またこの交響曲の成立に関する手紙等の二次資料がないため、確証は得られなかった。18世紀からもっぱらヨーゼフ・ハイドンの作品ということになっていたが、これは当初から嫌疑がかけられていた。つまりヨーゼフ・ハイドンの他の作品と比較して、あまりにも単純、よくいえば田園的だからである。次なる候補はヨーゼフ・ハイドンの5歳年下の弟ミヒャエル・ハイドンであった。ミヒャエル・ハイドンはザルツブルク在住でモーツァルト親子とも親交があり、モーツァルトの最後の交響曲、39番、40番、41番のモデルとなる交響曲を作曲した程の才能の持ち主であった。しかし、これも確証が得られなかった。さらに同時代の大天才モーツァルトの作品に違いないという、半ば夢想的なことも言われてきた。
事態が大きく動き出したのは20世紀も半ばにさしかかった1951年、レオポルト・モーツァルトの作曲とされるカッサシオン(全7曲)が、エルンスト・フリッツ・シュミットによりバイエルンの国立図書館から発見され、その一部が『おもちゃの交響曲』と同一であることが判明した。
モーツァルトの父として、音楽史に燦然と輝くレオポルト・モーツァルトであったが、作曲家としては、ほとんどその作品を後世に残していない。その父モーツァルトが『おもちゃの交響曲』を作曲したというニュースを、世界中の音楽ファンは納得をもって受け入れた。またこの事実から、今日の音楽解説書では、レオポルト・モーツァルトの作品ということが定着している。
1992年オーストリアのチロル地方から驚くべきニュースが入ってきた。それはチロル地方シュタムス修道院(Stift Stams)の音楽蔵書の中から、1785年ごろ、当院の神父シュテファン・パルセッリ(Stefan Paluselli,1748年-1805年)が写譜した『おもちゃの交響曲』の楽譜が発見されたのだ。そこには同じくチロル出身で、今日全く忘れ去られた作曲家エドムント・アンゲラーが1770年ころに作曲したと記されていた。
エドムント・アンゲラーの活動とこの交響曲の作風、あるいは木製玩具の製造地であるバイエルン州の著名な保養地ベルヒテスガーデンがほど近いことなどから総合的に判断して、今日これを覆すだけの説はでていない。
いずれにせよ、今日無名の作曲家エドムント・アンゲラーの発想と作曲により『おもちゃの交響曲』は世界中の子供と大人を魅了しつづける。
なおベルヒテスガーデンの木製玩具は18世紀のヨーロッパでは広く知られており、今日なお名産品となっている。またこの交響曲が最初に出版された時、作曲者としてヨーゼフ・ハイドン、またタイトルとして『こどもの交響曲』が出版社の判断で付けられた。『おもちゃの交響曲』は英語圏でのタイトル「Toy Symphony」に由来する。
最終更新:20061128 (C)MaestroSasaki

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