フランツ・リスト
Liszt, Franz
1811 - 1886
ハンガリー生まれのドイツの作曲家、指揮者、ピアニスト。
父はエステルハージ侯の牧羊場の経理係で、息子の音楽の才能に気づき、6歳からピアノを習わせる。
1820年、ハンガリーの貴族たちから6年間の奨学金が出、1822年、父はフランツの音楽教育のためウィーンに移る。ピアノをツェルニーに、音楽理論をサリエリに師事。ツェルニーはリストの才能に驚き、レッスン料は取らずに熱心に教えたという。後のリストの超絶技巧は、ツェルニーの鍵盤楽器におけるテクニックの基礎の上に成り立っていると言える。
1823年、父はエステルハージ侯家の職を辞め、息子を連れてパリへ出る。しかしパリ音楽院では外国人であると理由で入学を拒否され、音楽理論を個人的にパエールとライヒャに師事した。
イギリス、フランス、スイスなど各地で演奏旅行を行う。ピアノの技術に加え、端麗な容姿も手伝い、サロンの寵児となる。ベルリオーズ、パガニーニ、ショパンらと交流、影響を受ける。
1833年、パリでダグー伯夫人マリと出会い、1835年、駆け落ちしジュネーヴで同棲。ジュネーブの音楽院でピアノを指導。
1839年から数年に渡りヨーロッパ中を演奏旅行。自らの演奏用に有名なオペラのパラフレーズなど編曲ものを多く書く。
1842年、ケーニヒスベルクの大学から名誉博士号を授与される。同年、ヴァイマールの客演宮廷楽長に任命される。
ダグー伯夫人との間には3人の子どもが生まれ、そのうちのひとりはヴァーグナーの妻となったコジマである。ダグー伯夫人との関係は1844年に破綻。
1847年、演奏旅行中のキエフでザイン=ヴィトゲンシュタイン侯夫人カロリーネと出会う。
1848年、ヴァイマールの宮廷常任指揮者となる。ヴァーグナーの「タンホイザー」、「ローエングリン」など同時代の作曲家の作品を演奏、紹介し、その活動によりヴァイマールは新ドイツ楽派の中心地となる。
1848年〜61年のヴァイマール時代は、自らの作品の創作も活発で、ピアノ・ソナタ ロ短調、2曲のピアノ協奏曲、ミサ・ソレムニス、交響詩12曲、交響曲2曲などの作品が生まれた。しかし周囲の策謀のため、1858年に宮廷常任指揮者の職を辞す。
1861年、ローマのカロリーネとの結婚のため同地に赴く。しかし結婚は国際政治的妨害により成らず、住居は別々となった。
1865年、下級聖職者に叙せられる。
1869年、ヴァイマールに戻り教育活動、多くの弟子を育てる。
1871年、ハンガリー王室の宮廷顧問官となり、ローマ、ヴァイマール、ブダペストを巡りながら暮らした。
1871年、新設されたブダペスト王立音楽院教授、75年に学長となる。(現 リスト音楽院)
ピアノの魔術師と呼ばれ、ピアノ奏法を革新的に進めた。超絶技巧ばかりに目が向きがちだが、特に晩年の作品は宗教的側面が強い。国民主義の先駆者でもある。
代表作品:
◆ピアノ
詩的で宗教的な調べ Harmonies poetiques et religieuses
パガニーニによる超絶技巧練習曲集 Etudes d'execution transcendante d'apres Paganini
ハンガリー狂詩曲 Magyar Rhapsodiak. Rhapsodies hongroises
巡礼の年 Annees de pelerinage
ウィーンの夜会−シューベルトによるワルツ・カプリッチョ Soiree de Vienne, Valses caprices d'apres Schubert
メフィスト・ワルツ Mephisto-Walzer
伝説 Legendes
◆宗教合唱曲
ミサ・ソレムニス Missa solemnis
オラトリオ 聖エリーザベトの伝説 Die Legende von der heiligen Elisabeth
オラトリオ キリスト Christus
シュトラスブルク大聖堂の鐘 Die Glocken des Strasburger Munsters
◆交響詩
山上で聞こえること Ce qu'on entend sur la montagne
前奏曲 Les preludes
葬送英雄叙事詩 Heroide funebre
タッソ、悲哀と勝利 Tasso. Lamento e trionfo
プロメテウス Prometheus
マゼッパ Mazeppa
オルフェウス Orpheus
祝宴の音楽 Festklange
ハンガリー Hungaria
理想 Die Ideale
ハムレット Hamlet

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