ヨハン・ゲオルク・レオポルト・モーツァルト
Mozart, Johann Georg Leopold
オーストリア 1719 - 1787
ヴォルフガング・アマデウスの父。
製本職の親方の息子に生まれ、イエズス会学校と聖ザルヴァトル・ギムナジウムで教育を受ける。
1737年、ザルツブルク大学に入学するが、欠席が多く、1739年に退学処分。
1740年、トゥルン=ヴァルザッシナ・ウント・タクシス伯のヴァイオリニスト兼侍従となる。
1743年、ザルツブルク大司教の宮廷楽団のヴァイオリニストとなる。
1757年、宮廷作曲家。1763年には副楽長。
1747年、アンナ・マリア・ペルトゥルと結婚。7人の子供が生まれるが、成人したのはマリア・アンナ(ナンネル)とヴォルフガング・アマデウスの2人だけであった。
1756年、息子ヴォルフガングが生まれる。著書「基礎的ヴァイオリン教程の試み」を出版。
息子ヴォルフガングの才能に気づき、その教育に専心。娘と息子の2人の神童を有名にするために、あらゆる機会も逃さず、西ヨーロッパを回る長期旅行を何度も行った。
ヴォルフガングが父から離れて活動するようになってからも、旅行中の息子との往復書簡は数多く、強い絆を示すものである。
1781年、ヴォルフガングがウィーンに移ってからは、娘とザルツブルクで暮らし、多くの弟子の育成に務めた。自宅に住み込ませて徹底して教えた弟子もあり、楽団での職務や作曲の他に、教育の分野でも地域に貢献し、ザルツブルク市民の尊敬を集めた。
ザルツブルクの聖ゼバスティアン墓地に埋葬されている。
長年、レオポルトの作とされてきた「おもちゃの交響曲」は、近年の研究により、エドムント・アンゲラーの作という見方が強まっている。
教本「基礎的なヴァイオリン教程の試み Versuch einer grundlichen Violinschule」(邦訳 『バイオリン奏法』塚原晢夫訳、全音楽譜出版社 1974)は現在も高く評価されている。
作品:管弦楽曲DB
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