Part2
カラヤンはプライベートのことでも話題に事欠きませんでした。スピード狂で有名で、ポルシェカレラでF1サーキットで有名なザルツブルグリングで走ったり、自家用ヨットでレースに出たり、自家用のジェット機を自ら操縦していました。またザルツブルグにフランスの超音速旅客機コンコルドが来た際には、自ら操縦席に乗り込んで、子供のような笑顔の写真が翌日の新聞の一面をかざりました。

カラヤンの家はザルツブルグ郊外のアニフ、スキー場で有名なサンモリッツ、それに地中海に面した3つの家を持っていました。驚いたことに、ベルリンフィルの主席指揮者がベルリンに家がない、ホテル住まいなのです。もっともベルリンで最高のケンペンスキーに専用の部屋があったそうですが・・ここら辺まではちょっとカラヤンに興味のあった方なら、一度や二度耳にしたことはある話ですが、ちょとカルトな話題として・・

ないしょの話
私の友人がカラヤンの娘とつき合っていて、その彼が言うには、カラヤンの家には信じられないことにピアノがない!

カラヤンがソニーのウォークマン(確か銀色の2号機)をはじめて耳にして感激して・・「本物よりいい!!」それ以来カラヤンの車には必ずウォークマンが載せられていた。

意地悪な記者からの質問で・・他の指揮者をどう思うか?という質問に対して。

「私は色々な指揮者がこの世の中にいると言うことを、とてもうれしく思います・・」

(でも自分が一番と聞こえるような気がしました。)

やはり記者の質問で、あなたの自分の思う人生をこれまで過ごしてきましたか? という質問に対し・・  「はい!・・ただし30年早く生まれてきたこと以外は」

ザルツブルグ音楽祭のカリカチューア。コンサートの前、こちら側にタキシードやドレスを着た紳士淑女、反対側には社交界を垣間みるための群衆が群がる。交通整理の警察官が指揮棒を振り、それを雲の上から帝王カラヤンが嘆いている。
口ぱく、手ぱく、耳ぱく・・
放送業界の用語で、歌っているようなふりをして実際はCDなどを流しているいることを、「口ぱく」といいます。いまでも時折テレビの歌番組でみかける、あれです。これをもっと派手にやるのが「手ぱく」です。もちろん造語ですが、弾いてるふりをして、実際は演奏していない、例えばSMAPやTOKIOのような人気グループのライブ公演はみんなカラオケ、「手ぱく」です。他にはリチャード・クレーダーマンのピアノ、あれもほとんどが、音のでないピアノをつかった「手ぱく」です。ただ彼は一応弾けることは弾けるんです。

この「手ぱく」をなんとあのカラヤンがよくやっていたんです。みなさんご存知のようにカラヤンの映像は、なんか極端に管楽器がそろっていたり・・そうなんです。あれは全部後ろでCDを流して、その楽器だけ録画したものなんです。またチェンバロに座って指揮をする時には、チェンバロは音が出ないようにしてありました。さらにヴェルディーのファルスタッフの第三幕で鳴る舞台裏のホルン・・あれもCDを流していたんです。

やはり「本物」と「ふり」は違う・・スタッフは全員、そう思っていました。しかしカラヤンにそう言える人はだれもいませんでした。カラヤンは裸の王様でもあったのです。

Aidaを演出するカラヤン(1979)
タイトルロールのミレラ・フレーニ
帝王カラヤン
カラヤンが晩年オペラを指揮したのはザルツブルグだけです。これは他の劇場では自分の考えるスタッフがそろわない為でした。カラヤンは単にオーケストラ、ソリストだけではなく、裏方の動き一つにも完璧を要求しました。したがって他の指揮者、例えばレヴァイン、マゼールなどの稽古に比べて、裏方スタッフの集中力と緊張には格段の差がありました。

私の友人が「さまよえるオランダ人」の副指揮で舞台裏のホルンがそろわず一発でクビになったり、バスのクルト・モルをウィーンフィルの前に出して謝らせたり・・まさに帝王カラヤンを実感しました。

そんな中、ファルスタッフの稽古で声楽のアンサンブルが乱れたとき(実際はカラヤンの指揮がはっきりしないのでそろわなかった)、若いソリストが臆病になっていると見ると、メゾのクリスタ・ルードビッヒがさっとカラヤンの所へ行き、カラヤンを立てつつも、しっかりお願いしていました。さすが一流、しかも何十年というつき合いがあってこそだと感心しました。

ファルスタッフより
左からルードヴィッヒ、シュミット、
ペリー、カバイヴァンスカ
中国の皇帝でも天皇陛下でもだめ!!
これはカラヤンの練習に、日本の某大物国会議員が入りたいとお願いしたときの、カラヤンの秘書ザルツブルガー女史の返事です。あまりにはっきりした形容でした。

カラヤンの練習に入るためには、カラヤン自身の許可が必要で、そのカラヤンに直接お願いできる人はおそらく10名ほどでした。日本では小沢征爾さんくらいだったと思います。もちろんその小沢さんも、最初はベルリン在住の田中路子さんの力に負うことが多かったのです。私はベルリンフィルのインテンダントのストレーゼマンさんがカラヤンコンクールの審査委員長、モーツァルテウムのビンベルガー教授はザルツブルグの音楽祭の理事会のメンバー、それからコンツ教授は40年以上のカラヤンの友人ということで幸運にも許可をもらいました。
いずれにしろ、その先生方にとっても、カラヤンの所へ直接行ってお願いをするのはかなりの大事だったはずです。
カラヤンの先生
カラヤンが影響を受けた指揮者は、まずベルンハルト・パウムガルトゥナー(1887年ウィーン〜1971年ザルツブルグ)です。パウムガルトゥナーはピアノでモーツァルテウムに入学したカラヤンに指揮の道を勧めました。
また音楽的に圧倒的な影響を受けたのはトスカニーニ(1867年パルマ〜1957年ニューヨーク)です。そのスピーディーなテンポと劇的な構成、帝王と呼ばれた権力志向など、明らかにこのトスカニーニの影響を受けました。
さらにディミトリ・ミトロプーロス(1896年アテネ〜1960年ミラノ。ギリシャ生まれ、ニューヨークフィルの指揮者として活躍、現代音楽に定評があった)のことをよく語っていました。カラヤンが青年時代はまだレコードもほとんどない時代ですから、オーケストラの音を聞くには実際に演奏会に行くか、練習に潜り込むしかなかったのです。首尾よく練習に潜り込んで目の当たりにしたこのミトロプーロスの指揮ぶり、特に暗譜の素晴らしさを語ってくれました。カラヤンはギリシャの血が入っていますから、この同郷の指揮者にことさら影響を受けたはずです。

1996.12 Ver.3

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