1997-8-24
必死に意思伝達し学ぶ
8月24日、ニューヨークに到着。〜マキコお帰りなさい〜。三月の入試以来、半年ぷりに会うニューヨークの友人たちはそう言って私を迎えてくれました。〜お帰り〜という言葉と彼らの笑顔に、〜入学したんだ〜という実感が込み上げ、これから起こるすべてのことが楽しみで仕方がない−そんな心境でした。
ジュリアードに学籍があると日常の英会話に不自由ないように思われがちですが、私はこの貧弱な語学力のため、声楽個人レッスンと英語の特訓を受ける学生として在籍しています。つまり年度末の特訓クラスの試験結果が良けれぱ、次年度から正規の大学院生として実技実習や講義に参加することが許されるのです。
残念ながら特訓クラスでの成績が悪くジュリアードの学籍を失つた例も過去にあるそうです。来年五月ころには良い知らせをこの日記に載せたいものです。

英語特訓クラスの学生と指導のディフランチェスコ先生(後列右)鳴海さんは前列右端です。
多様な国の学生
日本3人、韓国3人、中国2人、ロシア1人、ブルガリア1人、ギリシャ1人という国籍の学生で構成され、3人の先生が指導に当たっています。このクラスにいると、私たちに残されたただ一つの共通原語は英語であると認識せざるを得ません。伝えたい言葉や言い回しを英語で表現しようと、みんなジェスチャーや絵を描いてはなんとか探し当て、少しずつ体得していきます。

暮らしの中の言葉
さて、こんな状態の私が寮で暮らし始め三週間目に、一トイレが詰まる一 という体験をしました(私のせいではないです)。生活委員に状況を説明し、棒の先に半球状のゴムが付いた「詰まりを解消するあの道具」が欲しくても、英語で何と言うのか分からない。あれこれ考えつつほかのトイレをのぞき回り、やっと道具を見つけて一人こもって作業をしていると、心配した友人が扉越しに「マキコ、大丈夫?」「○K、○K」を連発して奮闘するうちにやっと状況も復帰して一件落着。

微抄な表視に苦労
しかし最も困るのは微妙な気持ちを説明する時です。さまざまな国籍、文化、価値観を持った人が集まる寮では、生活のルールを話し合いで決めなければなりません。大学生なりの考えや意見はあるのに、言葉は小学生レペルなので気持ちがうまく伝えられず欲求不満がたまり、人と接するのがつらくなります。
でもこの国では「たとえその人に否があつても、先に発言した方が正義になる」傾向が強いと聞いたので、そんな時も辞典の単語を指し示しながら必死に自分の意志を伝える努力をしました。すると相手も理解しようと前向きに応じてくれるので、次こそは格好を付けようと思い勉強にも熱が入ります。
私の場合、英語を学ぷ「教室」はこういった暮らしの中にこそあるようです。

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