1998-03b

三月の中旬を過ぎた今日ニューヨークは雪模様の朝を迎えました。ジュリアードの寮の私の部屋から見えるハドソン川も雪の向こうにぼんやりと灰色に見えています。
今日はこの寮を含めてニューヨークから見たジュリアードについてお話したいと思います。

ニューヨークの文化の中心地
メトロポリタン歌劇場、ニューヨーク・シテイ・オペラ、同バレーホール、ニューヨーク交響楽団の本拠地であるエイヴリー・フィッシャーホール、ニューヨーク市立図書館(芸術分野全般に関する資料が収集されている)、そしてジュリアードを含めた一帯は「リンカーンセンター」と呼ばれ、さながら「クラシック音楽のデパート」と言ったところです。ここは三十年程前に現在の形になったのですが、その前は映画「ウエスト・サイド・ストーリー」の舞台だったそうです。

ニューヨークに長く住んでいる人によると「かつては昼間の往来ですら怖かったのに、今ではニューヨークの文化の中心地としてリンカーンセンタ−一帯は最も変化を遂げた地域」であり、「文化の香り高い」この辺は中高級住宅地として定着しています。
 
(学校の寮からみえるリンカーンセンター手前は桜の木)98.3.24

1200円で見るメトロポリタン歌劇場
メトロポリタン歌劇場を初めとして、ここでは九月から翌五月まで毎日すばらしい公演が行われ、入場料金も立ち見券で千二百円(私はいつもこれです)と高みの花では無いのが魅力です。また日本でもその動きが少しずつありますが、リハーサルを低料金で公開することで学生に一流の音楽家の練習を知ることができたり、ラジオのスイッチを入れる様な感覚で生の演奏を体験できる企画もされています。
こういった生きた施設の一画に住み、通学し、時には舞台でしか会えない一流の音楽家とすれ違ったり、彼等を支える舞台関係者の活気に少なからず刺激を受けています。

プロフェッショナルを育てる環境
私が在籍していた東京芸術大学は上野の森の中にあり、そこを歩く時は都会の喧騒や日常を離れ、森に映る四季の表情を楽しんだものでした。そこはまさに芸術を学ぷ環境としては最高でしたが、シュリア−ドにいると次の段階である職業としての音楽家や舞台人を育てる環境がここにはある、と強く感じます。


実際にジュリアードはそれら音楽家(ジェームス・レヴァイン、クルト・マズア)や劇場関係者を招いての公開レッスン、講演や討論会が大変に多いことも特徴といえましょう。
上の写真はニューヨークフィルの音楽監督クルト・マズアの公開講座です。

ジュリアードの学生は音楽、舞踏、演劇を中心に約九百人おり、教授陣は学長以下二百四十余人という構成になっています。新入生は市内に自宅があっても入寮が義務付けられ、約三百五十人が寮生活をしています。
(右の写真の手前がジュリアードの校舎、縞のビルの11〜28Fが寮です。)

住まいを聞かれ「リンカーンセンターです」と言うと、「いい所に住んでいるね」と感心されますが、約六畳に二人でいる様子は「うさぎ小屋」の比ではありません。しかし周囲には大きなレコード店や大規模な本屋、映画館があり、練習室と学校の往復になりがちな学生に憩いを与えてくれる環境もあります。

そんなジュリア−ドの学生に対し街の人達の反応は「特別な分野において幸運と才能に恵まれている」と評価しているようです。
先日も美術館にて学生証を提示したところ。
ジュリアード!ビューティフル(beautiful:素晴らしい、立派な)と言われ、くすぐったい様な気分でした。
独自の緊張感の漂う校内
しかし、卒業後の職を得る各種のオーデションでは学歴や楽歴もさることながら、やはりその時の演奏が重視されるので、前述の私の様にいちいち照れているとすぐに追い越されてしまうので、いつも気が抜けないのもジュリアードの学生の持つ独自の緊張感だと思います。

学校の中は何処でもこの言い様の無い緊張感が充満していますが、時間と共にこの圧迫感と戦うのではなく、そういう中に自分を自然体で存在させておく術を学んでいるように思います。そして、こういった精神面での鍛錬も音楽家になる上で必要であることをジュリアードは教えてくれています。

HOME目次つぎのページ