1998-05

無事合格
五月十一日。それは私にとって待ちに待った一年間の英語特訓コースの合格発表の日でした。十三人で始まったクラスのうち、一人がホームシックのために休学しましたが、無事全員合格しました。これで安心して夏休みを迎えることができました。

98/5/15期末試験のコンーサート後に友人と、学内のパウルホールにて。
さあ夏休み!
アメリカのほとんどの大学は五月が年度の締めくくりになっています。ジユリアードの学生は五月から九月までの約三力月間を母国に帰り休暇を楽しむ、演奏旅行に出る、プロの演奏家としての活動をする、夏期講習会や世界各地の音楽祭に参加するなど思い思いの方法で過ごし、九月からの新年度に向け充電および調整します。私は六月十五日から始まるアスペン音楽祭で歌劇ファルスタッフに出演しますが、その前の三週間が日本でのひと足早い夏休みとなりました。

こうして約九ヶ月月間のジュリアードでの留学生活をふり返ると、新しい自分の発見や、日本では想像することすらなかった新しい価値観との出合い等々、一日たりとも漫然と過ごすことができない緊張の連続でした。そうした中で私自身渡米前に比べて変化、成長したことについてお話ししたいと思います。

新しい発見〜音に心の動きを感じる
一つ目は音楽に関することです。演奏する時にこれまでに加えて一つ一つの音の間にある、得も言われぬ喜びや美しさ、悲哀、絶望感といった心の動きを感じとり、表現に結び付けようとするようになりました。
生来、私は何事につけても深く感動する性格でした。岩手大、芸術大在学中は声の技術を磨くことに重点をおいて勉強しました。ジュリアードでは、日本で学んだ技術を基盤にしながら私の感動しやすい性格を生かしながら演奏することを学んでいます。
「声はいい」とか「歌心はある」のどちらかを評価されるのではなく、プロの演奏家になるには、その両方が備わっていなければならないので、今回学んだことはプロの演奏家になるために必要な階段をまた一つ登っている状態とみましょう。
これらは練習室に閉じこもって得られたものではなく、一流の音楽家の演奏に触れたり、ジュリアードの学生の演奏や日常に接したり、またたくさんの専門家によるレッスンを通して少しずつ私の中に培われたものです。

自分の意志で道開拓
もう一つは声楽指導のジョンソン先生の言葉に気付かされたことです。「マキコの容姿はどこから見ても東洋人だが、母国の文化や考え方を全面に押し出す多くの学生と違い、マキコは他の文化を尊重しながらも自己の文化を発信することができる能力がある」と言っていただいたことがありました。
「人種のるつぼ」と呼ばれるアメリカで、最初のころは「この国の常識とは何か」と悩んだことがありました。日本のように単一民族国家ではないので、互いの文化を理解することから全てが始まるアメリカは、まるで広い地球の縮図のようです。そこでは自己が確立されて初めて、他を思いやったり、面倒をみたり逆に批判することができることを知りました。
アメリカ人がやっているようにまねをしていれば間違いも少ないはず」と考えていたのもつかの間、「何が一般的なやり方なのか」。まずそれが分からないのです。結局求められるのは、私が何をどのようにしたいかという意志をはっきり持ちながら自身で道を開拓してゆくことでした。ジュリアードで見たさまざまな風景を通して学んだこれらの貴重な経験を、私の原点、そして財産として役立ててゆきたいと考えます。

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