1998-08b
デンバーポスト 7月18日 記事 :ジェフ・ブラットレー

ファルスタッフ、感動的な初日!
オペラ部門 今年のアスペン音楽祭に良い知らせをもたらす
ヴェルディ(ファルスタッフの作曲家)は劇場にとって最も重要な存在だった。
79歳の彼は、最後のメッセージ〜この世は全て冗談だ〜を彼の傑作「ファルスタッフ」全体を締めくくる素晴らしいフーガに託し、後世に残した。
演出家エド・バクレーによる才気溢れる舞台と、ジュリアス・ルデール指揮による生き生きとした音楽、そして5分間のウィンザー公園の場面で終わるこのオペラはアスペン音楽祭オペラセンターの企画によるもので、7月15日水曜日までの短い期間、フィラーオペラ劇場で催されている。
今年のアスペンのオペラシーズンは「ファルスタッフ」で幕開けしたわけだが、精神的深さを追究したというよりは身体的表現に負うところが大きい喜劇、かつヴェルディの言葉を借り述べれば、この作品を上演することはひとつの挑戦であり、今年の音楽祭期間中、個性的なオペラ作品が上演されることを確信させた。
期間中は他に、スキンヘッドの格好でするオペラ「グリーク」と、C.フロイト作曲の「スザンナ」が予定されている。演出のバークレー氏と舞台美術のJ.マッドレーナ氏はシェークスピアの原作「ウィンザーの陽気な女房達」と「ヘンリー・4世」を現代化させ、クリケット用の帽子とバット、(東洋風)傘、銀製の茶器で全体を仕上げた。
様々な人種の出演者をプエルトリコ出身の歌手、カルロス・コンデが主役でリードした。彼は威厳をもって歌っていたが、英国騎士というよりはむしろ、南アメリカの疲れた兵士に見えた。
クイックリー夫人は豊かな声(lushvoiced:豪勢な、賛沢な、溢れんばかりの)の日本人マキコ・ナルミによって演じられた。彼女は、サー・ジョン(Sir=騎士につけられる敬称、この場合ファルスタッフのこと)のもとを訪れ“御免下さいませ”と言う度に”ご挨拶の印”として腰をふっていた。
才能溢れるアイルランド出身のソプラノ、モイラ・オブリアンは魅力的で賢いアリス・フォードを演じ、またその夫役を印象深く、明るい声のアフリカ系アメリカ人のバリトン、シェーネン・ディヴインが演じた。
(アスペンオペラ劇場)
ボンベイ出身のテナー、ソラブ・ワディアはバリトンのジェイ・マクマナス演じるピストーラと共に、赤鼻のバルドルフォ役で好演。メゾ・ソプラノのジェー・ダイアモンドは少女の様なメグ・ぺ一ジ役を、ソプラノのジェニー・エルマーはナンネッタ役には強すぎる声だった。また、テナーのジェムス・ブラウンはその恋人役、フェントンとしては声が少し明るかった。
演出家はファルスタッフに2回ズボンのファスナーを開けさせたまま登場させ、音楽のタイミングに合わせて、ファスナーを閉め直させたが、演出家が意図したほどのおもしろさを感じさせなかった。
2幕のクライマックス、ファルスタッフがテムズ川にほうりこまれる場面では、ファルスタッフが隠れているはずの洗濯籠が不器用に引きずり運ばれた為、洗濯籠が空になっているのが解り、太った男(ファルスタッフ)がもはや籠の中にいないことは明らかだった。先ほどまで中庭の場面で見せていたファルスタッフの偉大さが欠け、恐怖感よりかわいらしさを感じた3幕では、オークの大木が無く、ファルスタッフも彼の機知を駆使した冗談を言う場面になるまで恐怖におののく感じが欲しかった。(台本上ではこの大木の存在が大変に重要視されているからあえて書いていると思われる。今回の公演では一枚の大きな葉を設置して、大木があることを暗示する方法をとった。)しかし以上の事柄は大いに楽しんだ後のささいな揚げ足取りであって、全体としては大変に良く歌えていた公演だった。
学生オーケストラとの共演ではあったが、ルデール氏の解釈は緊張感と酒落っ気力さあり、特に、ファルスタッフが川からはい上がってくるときの地響の様な3幕への前奏は素晴らしかった。
英語の字幕付きでイタリア語で歌っていた声の宝石違(歌手のこと)はまさに水銀の輝きの様だった。特に1幕で4人の女声と5人の男声の重唱場面と、アンコールにもなった最後の大フーガは素晴らしかった。

大フーガのテーマです。
みなさん夏休みはいかがお過ごしになりましたか?
私のアスペンでの夏は、ケガや事故に悩まされましたが「ファルスタッフ」は大成功に終わり、この新聞批評の他にも、様々な指揮者との出会いもあり、一年目にしてこんな幸せな思いをしていいのかしら?と心配になる程でした。
なお内容を伝える為に若干言葉を加えています。(……)内の解釈は私の訳によるものです。
皆様のご健康をお祈り申し上げます。

HOME目次つぎのページ