20世紀に入って、水の欠乏と塩類の欠乏についての研究がすすむうちに、それらが同時に体内でからみあっている現象であることが医学的に認識されるようになった。出血・補液という外科的な問題、また嘔吐・下痢という内科的な問題、発汗という労働衛生上の問題、また世界各地へ植民地を持つようになり、また現地での戦術展開の場合の医学的問題にぶつかったことがその背景にあったと考えられる。
人間と温度についての研究1)が行われ、ほぼ理論的に完成された。
また汗の研究2)が行われるなかで、マリオット(H.L.Marriott)は自らのインド遠征への経験を踏まえて、水と塩の欠乏についての研究を1947年に発表した3)。
水の欠乏、食塩の欠乏、また両者の混合した欠乏がみられるが、水の過不足に対しては本能的に敏感な渇機能により調節されているので、通常、特別の飲水に関する障害がないかぎり、純粋の水欠乏に陥ることはない。臨床的には水と食塩の混合性欠乏が多くみられ、脱水症の病態は食塩欠乏の知識なくしては正しい理解は得られない。食塩欠乏は健康者にも発生しうる。高温環境下の労働により、食塩は発汗とともに皮膚から失われ、水分は口渇より補給されるが意識して食塩補給を行わないと、食塩欠乏は進行し諸症状を呈することを述べたと紹介されている4)。
日常生活の中で、また労働・運動の際、一番問題になるのは、汗への食塩の排泄である。発汗の生理学を研究した久野寧の研究・見解2)は日本においては広く引用されている。
日本人について汗中の塩化物を実測し、だいたい食塩濃度として0.1-0.35%で、劇暑の下の過激な労働を行う場合には、食塩の排泄が1日30グラム以上におよぶことは稀でないことを示した。そしてその現象を発汗による体液の消耗とその補給という面から考察している。高暑下の作業などの場合には大量の食塩を用いれば、うつ熱症状をやわらげ、耐熱力を増強するのに効果があることを示し、発汗の場合には、その消耗の補給のために食塩の摂取が必要であり、盛夏の候、連日45グラムの食塩を与えた実験でも、何等症状を示さなかった例を示した。久野は「臨機の食塩投与は試むべき一方策といいうるのであって、ただしその使用量は、労働の程度・持続と個人的耐性を配慮して選定しなければならぬ」と述べてはいるが、一般には汗に食塩が出るから、汗をかくときは食塩が必要だと考えられるようになったのではないだろうか。
また日本人に比べて熱帯に住むミクロネシア人の汗の塩分の含量が少ないことを認めたが、この理由を日常摂取されている食塩量と関連しているとは考えず、熱帯の風土に順化し、鍛錬効果の現れであると述べている。マリオットも、現地人や長期滞在者は汗の中の塩類濃度は低かったと記載している。
日本における汗についての生理学的研究2)は1939-44年にかけて報告されたものであり、また日本人の食塩需要量としての資料として一日40グラムにもおよぶ高熱重筋労働者の食塩摂取量について「蓋し食塩喪失を補償せんとする根強い生理的欲求に導かれるからであろう」と述べられている5)。
このようなわが国独得の研究の成果が、わが国での汗と食塩との関係についての常識をつくっていったと考えられる。
しかしこれらの研究は、副腎皮質ホルモンの塩類調節機構についての研究成果が知らされる前になされたものであって、最近の研究に基づいて、汗と食塩との関連を見直さなければならないと思われる。
すなわち、コン(J.W.Conn)が汗の中の塩類濃度を副腎皮質機能の臨床に応用できる指標として考え、暑熱に対しての順化について述べたのが1949年(昭24)であり6,7)、「Primary Aldosteronism」の報告を初めて行ったのは1954年(昭29)である8)。
これらの研究によって、塩類保持ホルモンとしてのアルドステロンが腎臓だけでなく、汗腺にも作用していることが明らかになった。
コンは食塩摂取量を減らすと、汗の中への食塩量の排泄が減少することを観察し、これはアルドステロンのような塩類保持の作用をする副腎皮質ホルモンの増加することによる順応作用であると考えた。
十分暑熱労働になれた人では、毎日7リットルの汗をかくような場合、食事の内容は食塩の摂取合計を一日に20グラム、11グラム、6グラム、1.9グラムと変えた場合、尿と汗への食塩の排泄を観察すると、変えた最初の日に尿中への食塩排泄が減少し、汗の中の食塩排泄は少し遅れて、24時間から36時間たって減少し、変化のあとの食塩摂取と排泄のバランスが成立することを認めた。汗の中の塩類濃度の変化のおくれは、副腎皮質ホルモンの作用に要する時間的なおくれに相当すると考えた。またこのことは長期にわたって食事の食塩を減らす場合にもおこり、コンは健康な人で、一日5-9リットルの汗を出す人で、一日1.9グラムの食塩摂取で、塩類のバランスのとれることを観察している。この場合尿中には一日50ミリグラムの食塩しか排泄されていない。このような能力は人によって異なるが、汗の中の食塩は普通は1リットル中数グラムなのに、0.1グラムにまでうすくすることができると述べている。
このような人体の発汗に際して失われる食塩を保持する機構が働くという仕組みを知ることは、発汗があるから、すぐ食塩を補給するという単純な対応策を考えるより、もっと人間の能力を高めていく方策をとるという方向を示唆するものであるといえよう。
もちろんこのような順応が不完全であったり、急激な発汗などによって食塩が失われる場合に、食塩の補給が必要なことはいうまでもない。
最近の発汗の生理学について大原孝吉も「したがって中等度の発汗による水分損失は単に水分のみ補給すればよいが、大量発汗による塩分損失量が大であるときは、水分、塩分ともに補給することが必要である」と述べている9)。
「汗をかくから塩分を補給する」はまちがい生理学という記事が一般向けの健康雑誌に登場したのは昭和61年(1986年)であった10)。
1991年西牟田守は運動時の汗中のミネラル濃度について検討し、1日食塩として6グラム(ナトリウムとして2.5グラム)の条件で、食塩10グラムの条件と比較して、運動・発汗時の汗中のナトリウム排泄が抑制されることを認めたが、またこのような場合のカルシウム濃度が高くなることから、「慢性的な低ナトリウム食の場合には、骨代謝に悪影響を及ぼしているのではないか」「汗中のナトリウム排泄が抑制機構が発動したことは、食塩1日6グラムの食事は必要量を満たさない食塩欠乏食と解釈できるので」として、食塩の摂取不足が健康阻害因子のひとつである可能性について述べた11)。
長期における低食塩食に害がないとする研究はド−ルの代謝実験とか低食塩食に生きつづけてきた人々の観察で認められてきたことであるが、習慣的に高食塩食の中で育ってきた人々にとっての、低食塩食での労働、運動時の発汗の場合の問題についてはさらに観察をつみかさねなければならないだろう。
1)ウインスロ−・ヘリングトン(北博正・竹村望訳):温度と人間.医歯薬 出版,東京,1966.
2)久野 寧:汗.養徳社,奈良県丹波市,1946.
3)Marrriot,H.L.:Water and salt depletion. British Medical J.,1, 245-250, 285-290, 328-332, 1947.
4)平田清文:水と塩の談義.臨床栄養,35(5), 538, 1969.
5)斉藤 一:日本人の食塩需要量.労働衛生, 22, 215-220, 1946.
6)Conn,J.W.:Electrolyte composition of sweat. Arch. Int. Med., 83, 416-428, 1949.
7)Conn,J.W.:The mechanism of acclimatization to heat. Advances in Internal Med., 3, 373-393, 1949.
8)吉永 馨:Conn症候群とは.新薬と治療, No.213, 12, 1976.
9)大原孝吉・奥田宣明:発汗の生理学.日本臨床, 41, 秋季増刊,238-248, 1983.
10)「汗をかくから塩分を補給する」はまちがい生理学:栄養と料理, 52(8), 58-63, 1986.
11)西牟田守:ナトリウムの必要量.医学のあゆみ,156(3), 224, 1991.