山田耕筰
やまだ こうさく
1886-1965
東京音楽学校予科入学、1908年、東京音楽学校(現・東京芸術大学)声楽科を卒業。
1910年、三菱財閥の岩崎小弥太男爵の援助を受けてドイツ・ベルリン音楽学校作曲科に留学、マックス・ブルッフ、カルル・ヴォルフに師事。1914年帰国後、日本の交響楽運動の基礎を築く。1917年渡米、カーネギーホールで自作を中心にした演奏会を開き、ニューヨーク近代音楽協会、全米演奏家組合の名誉会員となる。
1919年に帰国、日本楽劇協会を設立、オペラ活動を推進。
1922年、北原白秋と「詩と音楽」を創刊、ここから数々の歌曲の名作が生まれる。
1925年日本交響楽協会(現N響)創設。
世界各地で活動し、1936年、レジオンドヌール勲章受章。
1937年、相愛女子専門学校(現・相愛大学)教授に就任。
尚、名前の表記は1930年、耕作から耕筰へと変えている。
作品:
交響曲ヘ長調『かちどきと平和』
交響曲『明治頌歌』
ロマンツェ(ヴァイオリン)
ピアノのための「からたちの花」
◆歌曲、童謡
野薔薇(詞:三木露風)
からたちの花(詞:北原白秋)
この道(詞:北原白秋)
かやの木山の(詞:北原白秋)
松島音頭(詞:北原白秋)
赤とんぼ(詞:三木露風)
兎のダンス(詞:野口雨情)
七夕(詞:川路柳虹)
砂山(詞:北原白秋)
ペチカ(詞:北原白秋)
待ちぼうけ(詞:北原白秋)
あわて床屋(詞:北原白秋)

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