Bach, Johann Christoph Friedrich
ヨハン・クリストフ・フリードリヒ・バッハ
独 1732 - 1795
ビュッケブルクのバッハ と呼ばれる。
ヨハン・セバスティアン・バッハの第9子で、下から2番目の息子。母は2度目の妻アンナ・マクダレーナ。ヨハン・セバスティアンの音楽家となった4人の息子の3番目で、4人のうち最も地味で落ち着いた人生を送った。
音楽の手ほどきは父から受け、1749年、ライプツィヒ大学で法律を学ぶ。
1750年、18歳でシャウムブルク=リッペ伯ヴィルヘルムの宮廷音楽家としてビュッケブルクに赴任、1758年には同地でコンサートマスター兼カペルマイスターとなる。
1777年までヴィルヘルム伯、1787年までフリードリヒ・エルンスト伯、その後は女摂政ヴィルヘルミーナに仕える。
1778年、ロンドンに弟ヨハン・クリスティアンを、ハンブルクに兄のカール・フィリップ・エマヌエルを訪ねて旅をしたほかは、終生をビュッケブルクで過ごし、小さな宮廷都市ビュッケブルクを当時の一大音楽都市へと導いた。
交響曲、クラヴィーア曲、室内楽、モテット、オラトリオ、オペラ、リートなどがあるが、消失した作品も多数。兄エマヌエルや弟クリスティアンをはじめ、モーツァルト、ハイドンの影響もみられる。
フリードリヒの息子のヴィルヘルム・フリードリヒ・エルンストは、ロンドンの叔父クリスティアン・バッハから教育を受け音楽家となるが、このエルンストをもってヨハン・セバスティアンの男性の子孫は途絶えた。
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