エクトル・ルイ・ベルリオーズ
Berlioz, Hector Louis
仏 1803 - 1869
ロマン派前期のフランス最大の作曲家で、1789年のフランス革命後の空気の中に生まれ、7月革命、2月革命に揺れた時代を体現した芸術家。
医師の息子として生まれる。初めはフルートとギターを学んだ。1821年に父の望みに従い医学を学ぶためパリへ出るが、すぐに医学を放棄して音楽に専念、家族とはしばらく断絶した。結局父親が折れ、パリ音楽院に入学。ル・シュウール、ライヒャ、ケルビーニに師事。
ローマ賞に4度応募し、1度は2等を取るものの落選を繰り返した。遂に1830年、カンタータ「サルダナパルの死
La Mort de Sardanapale」で大賞を獲得。
同年、「幻想交響曲」が初演。奇想天外な独創的世界で絶賛を得る。
1831〜32年、イタリア旅行。メンデルスゾーンやグリンカらと交友。このイタリア滞在が交響曲「イタリアのハロルド」(1834)に反映されている。
パリに戻り1833年、幻想交響曲のモデルであったハリエット・スミスソンと結婚。
評論家としても活動。1834年から「ガゼット・ミュジカル Gazette Musicale」誌に寄稿。また「論争雑誌
Journal des Debats」への寄稿はその後27年にわたって続いた。
政府から1830年の七月革命の英雄を記念するためのミサ曲の作曲を委嘱され、このレクイエム(1837) は大きな成功を収めた。
劇的交響曲「ロメオとジュリエット」(1839) は、ワーグナーに大きな影響を与え、ワーグナーは「トリスタン」 をベルリオーズに献呈している。
1842年以降、欧州各地を演奏旅行し、自身の音楽をプラハ、ブダペストを初め、ポーランド、ロシア各地で大いに受け入れられた。多くの作曲家、批評家、王族のに多くの友人を得、その間も作曲、執筆活動も続けた。
1843年、「近代の楽器法と管弦楽法」を公刊。
1848年、二月革命の勃発でロンドンに滞在。1849年帰国、管弦楽団を設立。
1856年、フランス学士院の会員。
自身も病身も中、息子に先立たれるなど、失意の晩年を送った。
代表作品:
幻想交響曲−ある芸術家の生涯のエピソード Symphonie fantastique: episode
de la vie d'un artiste
交響曲 イタリアのハロルド Harold en Italie
葬送と勝利の大交響曲 Grande Symphonie funebre et triomphale
序曲 ウェイヴァリー Waverley
序曲 宗教裁判官 Francs Juges
序曲 リア王 Roi Lear
序曲 ローマの謝肉祭 Carnaval romain
序曲 海賊 Corsaire
歌曲集 夏の夜 Les Nuits d'Ete(ピアノ版、オーケストラ版がある)
死者のための大ミサ曲(レクイエム)Grande Messe des Morts
劇的交響曲 ロメオとジュリエット Romeo et Juliette
テ・デウム Te Deum
◆オペラ
ベンヴェヌート・チェッリーニ Benvenuto Cellini
トロイアの人々 Les Troyens
ベアトリスとベネディクト Beatrice et Benedict
作品:管弦楽曲DB
作品:オペラ名曲辞典
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