Boieldieu, Francois-Adrien
フランソア・アドリアン・ボイエルデュー(ボアエルデュー)
仏 1775-1834
作曲家。
ルーアン大聖堂の少年聖歌隊員で、オルガニストのブロシュから音楽を学ぶ。この少年期に受けたブロシュからの教えが一番大きいと言われる。更にパリでオルガンをA.L.クープランに、ボローニャでオルガン、ピアノ、作曲をマルティーニに師事するが、基本的には独学の作曲家であった。
1791年、ルーアンに戻り、聖アンドレ教会のオルガニスト。
93年、18歳のとき、最初のオペラ・コミック、父親の台本による 「罪ある娘 La Fille coupable」 を作曲。これは1793年、ルアンのテアトル・デザールで上演される。続いて「ロザリーとミルザ」 (1795)を発表。パリに出、ピアノ製造業者のエラール家と知り合い、交友範囲を広げる。
オペラ・コミック座でオペラ作曲家として活動、1798年にサル・ファヴァールで上演されたオペラ 「ゾライムとズルナール」で成功。
その後、舞踏家であった妻との不和が原因でパリを離れ、ロシアに行き8年を過ごす。サンクトぺテルブルクの宮廷作曲家。1810年に帰国。歓迎され、再びオペラ作曲家として活躍する。
1798〜1803年、パリ音楽院ピアノ科教授、1817〜29年、作曲科教授。門下にはアダン、ジメルマンがいる。
19世紀初頭、フランスの王制復古期におけるオペラ・コミックの代表者であり、オペラ・コミックの様式を確立した。
◆オペラ
罪ある娘 La fille coupable 1793
ロザリーとミルザ Rosalie et Myrza 1795
スイス人の一家 La famille suisse 1797
幸福な知らせ L'heureuse nouvelle 1797
ゾライムとズルナール Zoraime et Zulnar 1798
シュゼットの持参金 La dot de Suzette 1798
スペイン人の勘違い Les meprises espagnoles1799
ベニオウスキ,またはカムチャツカからの逃亡者 Beniowski ou les exiles du Kamtschatka 1800
バグダードの太守 Le calife de Bagdad 1800
オロールおばさん Ma tante Aurore 1803
アリーヌ,ゴルコンドの女王 Aline, reine de Golconde 1804
テレマク Telemaque 1806
転覆した馬車 Les voitures versees 1808
ささいなこと,あるいはふたつの屏風 Rien de trop ou les deux paravents 1810
パリのジャン Jean de Paris 1812
村の新領主 Le nouveau Seigneur du village 1813
アンジェラ Angela 1814
隣村の祭り La fete du village voisin 1816
赤ずきんちゃん Le petit chaperon rouge1818
ファラモン Pharamond1825
白衣の婦人 La dame blanche 1825
2つの夜 Les deux nuits 1829
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