フレデリック・フランソワ・ショパン
Chopin, Fryderyk Franciszek
ポーランド 1810- 1849
作曲家、ピアニスト。
父ニコラはフランス人で、ポーランドに移住したフランス語教師。初めポーランド人の母からピアノの手ほどきを受け、1817年からはジヴヌィに学んだ。
1817年にポロネーズ ト短調と行進曲を出版。1818年、ワルシャワで初めて公開の場で演奏し、神童と呼ばれるようになる。1826年、ワルシャワ音楽院に入学。作曲をユゼフ・エルスネルに学び、1829年に学位を取得。1829年、ウィーンでの2度の演奏会で大成功を収める。
1830年、ワルシャワで最後の演奏会を開き、11月にはポーランドを後にし、二度と祖国に戻らなかった。
ウィーンで過ごした後、1831年の末パリに着く。プレイエル家と親交を持ち、1832年プレイエル家で初めて演奏を行い、リストと親密になる。経済的窮乏から、ロンドンに向かう予定を取りやめパリにとどまるが、その後、貴族の子弟にピアノを教えるようになり、経済状況は好転、作曲に専念する。リスト、ベルリオーズ、ロッシーニ、メンデルスゾーン、ハイネ、バルザック、ドラクロワなど多くの優れた作曲家、作家、画家らと親交を結んだ。
1837年頃から、子供の頃から患っていた結核が悪化。
1836年秋、リストに紹介されて女性作家のジョルジュ・サンド知り合い、1838年春には恋愛関係に発展、それはその後10年にわたって続く。1847年、サンドとの関係が破局、健康状態も悪化。
1848年、パリで最後の演奏会をもち、1849年死去、本人の生前からの望みにより、心臓だけはポーランドに運ばれ、ワルシャワの聖十字架教会に安置されている。
作品はほとんどがピアノ曲で、繊細な表現、陰影に満ちた独特のスタイルと卓越したピアノの演奏技術は19世紀の音楽芸術の発展に大きな影響を与えた。
作品:
ピアノ曲多数
◆室内楽
序奏と華麗なるポロネーズ Introduction et Polonaise brillante ハ長調 op.3(ピアノ、チェロ)
トリオ 第1番 ト短調 op.8(ピアノ、ヴァイオリン、チェロ)(1833)
マイヤベーア「悪魔のロベール」の主題による協奏的大ニ重奏曲 Grand Duo concertant ホ短調(ピアノ、チェロ。フランショムとの共作)
◆ ピアノとオーケストラ
モーツァルト「ドン・ジョヴァンニ」の「お手をどうぞ La ci darem la mano」による変奏曲 op.2(1830)
ピアノ協奏曲 第1番 ホ短調 op.11
ポーランド民謡による大幻想曲 Grande Fantaisie sur des airs polonais イ長調 op.13
クラコヴィアク−演奏会用大ロンド Krakowiak. Grand Rondo de concert ヘ長調 op.14
ピアノ協奏曲 第2番 ヘ短調 op.21
ピアノとオーケストラのためのアンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ Grande Polonaise brillante precedee d'un Andante Spianato pour le piano avec orchestre op.22
作品:管弦楽曲DB
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