Josquin Des Pres (Desprez)
ジョスカン・デ・プレ
フランドル c.1450-1521
後半のデプレの綴りを分けるかどうかは決め手がなく、また各国語により呼ばれ方も違い、ラテン綴り Jodocus Pratensis、イタリア綴りJuschino, Josquin Dascanio など文献によってさまざまに綴る。生年は1440年頃という説もある。フランドル人作曲家とされる場合が多いが、フランス人であった可能性も高い。
サン=カンタンの修道院教会少年聖歌隊員として音楽教育を受けたといわれる。オケゲム作品引用が数多くあり、オケゲムとは師弟関係であっただろうとされるが、これも確認はされていない。デュファイの影響も大きい。
1459〜72年、ミラノ大聖堂聖歌隊にビスカントルbiscantor(専門教育を受けた歌手)として所属。
1473年頃から大公ガレアッツォ・マリーア・スフォルツァの私的聖歌隊に所属、多額の報酬を得る。
1486〜95年、ローマの教皇庁の聖歌隊に在籍。
1499年、大公エルコレ1世の宮廷礼拝堂楽長に就任。
1501年、エルコレ1世の任を受け、フランドルへ聖歌隊員の選考に赴き、フランス国王ルイ12世の宮廷で活躍。
1503〜04年、フェッラーラ宮廷の礼拝堂楽長に就任。
晩年はコンデ・シュール・レスコーのノートル=ダム大聖堂首席司祭を務めた。
ルネサンス期を代表するフランドル楽派の大作曲家で、多作家であり、ミサ曲19、ミサ通常文楽章数曲、モテット約90、世俗曲70と器楽曲数曲を残している。(曲数は研究者により差異あり)
作品は、当時急速に普及した楽譜の印刷技術もあって欧州各国に広まり、次世代にも大きな影響を与えた。生前から「全作曲家の第一人者 princeps omnium」と呼ばれ、高い評価を得た。
1502年から14年にかけて、3巻のミサ曲集が出版されたが、1人の作曲家の作品のみで編まれた曲集としては最初のものである。
現代譜には、スメイエルス Smijersその他による全集がある。
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