Dusik, Jan Ladislav
ヤン・ラディスラフ・ドゥシーク
チェコ 1760-1812
ヨハン・ラディスラウス・ドゥセク
Johann Ladislaus Dussek
とも綴る。
ピアニスト、作曲家。
父はオルガニスト、合唱指揮者、チャースラフのカントルだった。父にピアノの手ほどきを受け、親戚にあたるラディスラウス・シュピナール神父に習う。
プラハのカレル4世大学で神学を学び、学位を取得。
ネーデルラントに行き、メヘレンとベルヘン・オプ・ソームでオルガニスト。
1782年頃、ハンブルクでエマヌエル・バッハに学ぶ。
ペテルブルグから新発明の鍵盤つきグラス・ハーモニカをもたらし、普及に努めた。
ピアノとグラス・ハーモニカのヴィルトゥオーソとして、ベルリン、サンクトペテルブルク、パリなど欧州各地で活躍。しばらくパリに住むが、1790年にフランス革命から逃れてロンドンに渡り、1792年結婚、義父であるコッリが経営する音楽出版社に就職。しかし出版社が倒産し、負債に追われハンブルクに逃亡、1804〜06年、プロイセンの王子ルイ=フェルディナントの援助を受ける。王子の死後は一時イーゼンブルク公に仕え、1808年、パリのタレーラン侯のもとで楽長の職を得た。
ピアノの名手で、コンサート・ピアニストの最初期のひとり。ステージでピアノを横向きに置くスタイルの元祖と言われる。作品はピアノ曲多数。ロマン派的香りがし、ベートーヴェン、ショパン、シューマンらに続く流れとなった。
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