Isaac, Heinrich
ハインリヒ・イザーク
フランドル c.1450-1517
Isaak, Yzac, Ysac、またHeinrichはHenricusとも綴る。
作曲家。若い頃の経歴は不明。
1484年、ロレンツォ・デ・メディチの招きでフィレンツェへ行き、1493年までメディチ家に仕え、またフィレンツェの大聖堂などで歌手を務め、ロレンツォの子女の音楽教師。
メディチ家がフィレンツェから追放された後、1496年にハプスブルク家の宮廷作曲家となり、皇帝マクシミリアン1世に仕え、欧州各地を旅し、さまざまな音楽スタイルを身につけた。
晩年はフィレンツェに戻り、皇帝マクシミリアンのもとで外交的役割も果たしたとされる。
メディチ家がふたたび権力を取り戻した後は、メディチ家出身の教皇レオ10世より恩給が支給された。
当時もっとも活躍した作曲家の一人。
作品は多様で数も多く、ミサ曲、ドイツ語リート、フランス語シャンソン、イタリア語フロットラなど多岐に渡るが、コラーリス・コンスタンティヌス Choralis Constantinus 全3巻、99曲は、典礼暦に従ったミサ固有文聖歌集として音楽史上初のもので重要とされる。また世俗歌曲「インスブルックよ、さようなら Innsbruck, ich muss dich lassen」はその美しい旋律により後世においてもさまざまな転用され、バッハもマタイ受難曲に取り入れている。
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