レオシュ・ヤナーチェク
Janacek, Leos
チェコ 1854 - 1928
1865年、奨学生としてブルノの旧修道院学校に入学。1872年、小学校教員の資格を取り、音楽教師を務める。
1874〜75年、プラハのオルガン学校でフランチシェク・ブラゼクとフランチシェク・ズデニェク・スクヘルスキから本格的な音楽教育を受け、ブルノで数年間音楽教師、合唱団長を務める。1878年、サンクトペテルブルク音楽院で学び、その後ライプツィヒ音楽院でグリルとオスカー・パウルに師事。1879〜80年、ウィーン音楽院ではフランツ・クレンに師事。
ブルノに戻り、1880〜1904年、師範学校の音楽教師。1886〜1902年、ブルノのギムナジウムで声楽教師。
1881年、ブルノにオルガン学校を設立、1919年まで校長を務める。
1884年〜88年、雑誌「音楽新聞 Hudebni listy」を発行。
1919年、自身のオルガン学校がプラハ音楽院ブルノ分校となり、1925年まで作曲科の教授。
モラヴィアの民俗音楽を研究、収集記録し、民俗音楽を取り入れ芸術的高みに導いた作品を生み出す。
日常言語からメロディーとリズムが発生するという「言語メロディー(発話旋律)」の理論を提唱、数々のオペラに反映された。
チェコ音楽の草創期の代表的作曲家であり、国民的音楽家として、スメタナと並び称される。
作品:
◆器楽
2つの演奏会用ファンタジー(オルガン)
モラヴィア民俗舞曲集(4手ピアノ)
ピアノソナタ 変ホ短調 「1905年10月1日、街頭にて」
おとぎ話 Pohadka(チェロ、ピアノ)
ヴァイオリン・ソナタ
弦楽四重奏曲「内緒の手紙 」
管楽六重奏曲「青春 Mladi」
コンチェルティーノ(ピアノ、室内アンサンブル)
◆管弦楽
ラシュスコ舞曲集
ラプソディー「タラス・ブーリバ Taras Bulba」
ブラニークのバラード Balada blanicka
シンフォニエッタ
牧歌 Idyll(弦楽合奏)
◆声楽
カンタータ アマールス Amarus
消えた男の日記 Zapisnik zmizeleho(テノール、アルト、女声3部合唱、ピアノ)
グラゴル・ミサ (1926)
◆オペラ
シャールカ
物語の始まり
運命 Osud
ブロウチェク氏の旅
女狐ビストロウシュカの物語 (または「利口な女狐の物語」)
マクロプロス事件
バレエ「ラーコシュ・ラーコツィ」
作品:管弦楽曲DB
作品:オペラ名曲辞典
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