ピエートロ・マスカーニ
Mascagni, Pietro
伊 1863 - 1945
パン屋の子として生まれる。ケルビーニ音楽学校でソッフレディーニにピアノと作曲を師事。1879年、交響曲ハ短調を書く。81の卒業時にカンタータ「イン・フィランダ」で賞金を得る。シラーの歓喜の歌に作曲したものがミラノのコンクールに入選、ミラノ留学が叶う。ミラノ音楽院でポンキエッリとミケーレ・サラディーノに師事。経済的に貧しかったため、同じような状況だったプッチーニと同室で暮らした。
音楽院を中退し、巡業のオペラ一座に参加、イタリア各地を旅する。その後チェリニョーラ市立管弦楽団の音楽監督に就任。
1889年、ソンツォーニョ音楽出版社の一幕物のコンクールで「カヴァッレリーア・ルスティカーナ」が第1位、1890年、初演され大成功となり、一躍世界に名が知れ渡るようになる。この作品は、他作家においても同傾向の作品の続出を招き、ヴェリズモ・オペラの流行となり、19世紀末のオペラ界に大きな影響を及ぼした。
1895〜1902年、ペザロの高等音楽学校の校長を務める。
1902年、歌劇団を率いて渡米、自作を各地で上演。1911年には南米にも演奏旅行をしている。1929年、トスカニーニの後任としてスカラ座の首席指揮者に就任。
1935年、ムッソリーニの栄光をたたえた「ネローネ」を発表、ファシズムへの協力者として二次大戦後は第一線から退けられ、全財産も没収、亡くなるまでの20年間は非常な孤独のうちに過ごした。
作品:
◆オペラ
カヴァッレリーア・ルスティカーナ Cavalleria rusticana
友人フリッツ L'amico Fritz
ランツァウ家の人々 I Rantzau
グリエルモ・ラトクリフ Guglielmo Ratcliff
イリス Iris (日本が舞台)
仮面 Le maschere
小さなマラート Il piccolo Marat
ネローネ Nerone
オペレッタ ピノッタ Pinotta
映画音楽 悪魔のラプソディー Rapsodia satanica(1917)
作品:管弦楽曲DB
作品:オペラ名曲辞典
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