ヤーコプ・ルートヴィヒ・フェリックス・メンデルスゾーン=バルトルディ
Mendelssohn-Bartholdy, Jakob Ludwig Felix
独 1809 - 1847
ユダヤ系ドイツ人の作曲家、指揮者、ピアニスト。
祖父は哲学者モーゼス・メンデルスゾーン Moses Mendelssohn。
1811年、父のアブラハムは兄と共にベルリンにメンデルスゾーン銀行を設立。パリ、ロンドンにも支店を構える大金融機関となる。メンデルスゾーン家はユダヤ教からプロテスタントに改宗、バルトルディの名を加え、メンデルスゾーン=バルトルディと改名した。
フェリックスは家庭教師に教育され、母よりピアノの手ほどきを受け、その後ルートヴィヒ・ベルガー、フンメルに師事した。ヴァイオリンも幼い頃から習い、1824年からリーツに師事。作曲はツェルターに師事。
1822年頃より、両親の家で日曜コンサートが開かれ、姉のファニーや弟のパウルらと演奏し、自身の曲やファニーの曲も披露した。後々、ベルリンの両親の家は多くの文化人が集う一流のサロンとなり、文豪ゲーテとも交遊、影響を受けた。教養のみならず、多大な財力、社会的地位を持ち、他の音楽家と比べ格段に恵まれた生活を送る。
1825年、パリに滞在、自作のピアノ四重奏曲を演奏。
1827年、シェイクスピアの「真夏の夜の夢」の序曲がレーヴェによりシュチェチンで初演。同年、大学に入る。
1829年3月、バッハの没後初めて「マタイ受難曲 Matthauspassion」を演奏。一躍有名になる。
1829年、イングランドとスコットランドへ旅する。
1830〜32年、ヴァイマル、ミュンヘン、ウィーン、イタリア各地、スイス、パリ、ロンドンと欧州各地に旅行。
ツェルターの没後、その後任としてベルリンのジングアカデミーの指揮者に応募、落選。
1833年、ニーダーライン音楽祭を率いて成功、同年、デュッセルドルフの音楽監督となる。
1835年、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の音楽監督となり、終生その任にあった。
1838年、シューベルトの交響曲 ハ長調「グレート Great」を初演。
ライプツィヒの文化の中心的人物として活動し、管弦楽団を成功へ導き、ライプツィヒは音楽の拠点として重要な地となる。
音楽家の労働条件の向上、若い音楽家の育成にも努めた。
1839年から音楽院の創設に向けて動き、1843年、ライプツィヒ音楽院が開校。
1840年、ベルリンの芸術アカデミーの音楽部門を再編すべく招かれる。シェイクスピアの「真夏の夜の夢」の序曲に続く劇音楽を作曲。
1843年よりベルリン大聖堂聖歌隊の指揮も行う。
1844年、ライプツィヒに戻る。
姉のファニーは画家ヘンゼルと結婚、女性作曲家として知られるファニー・ヘンゼルである。フェリックスは仲の良かった姉の夭折に大きなショックを受け衰弱し、ほどなく姉を追うようにして亡くなった。
バッハ、ヘンデル、グルック、ハイドン、モーツァルトらを研究、当時知られていなかった作品を再演、復活させる活動をしたことは重要。
ドイツ・ロマン派初期の代表であり、美しいメロディと優れた情景描写で人気は衰えない。
代表作:
◆ピアノ
ロンド・カプリチオーソ Rondo capriccioso op.14
厳粛なる変奏曲 Variations serieuses op.54
無言歌集 Lieder ohne Worte op.19b,op.30,op.38,op.53,op.62,op.67,op.85,op.102
◆室内楽
ピアノ三重奏曲 op.49,op.66
ピアノ四重奏曲 op.1,op.2,op.3
◆交響曲(5曲)
◆協奏曲
ピアノ協奏曲 ト短調 op.25、ニ短調 op.40
ヴァイオリン協奏曲ホ短調 op.64
◆オラトリオ
聖パウロ Paulus op.36
エリア Elias op.70
◆声楽
ピアノ伴奏付き歌曲 op.8,op.9,op.19,op.34(op34には「歌の翼に Auf Flugeln des Gesanges」を含む)
◆舞台
劇音楽「真夏の夜の夢 Ein Sommernachtstraum」
作品:管弦楽曲DB
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