モデスト・ペトロヴィチ・ムソルグスキー
Mussorgsky, Modest Petrovich
露 1839 - 1881
19世紀のロシア国民楽派の代表。
貴族で代々軍人の家柄に生まれ、領地で育つ。1849年、家族とともにサンクトペテルブルクに移り、ドイツ・ペトリ学校に入学、その後は近衛軍団の幼年学校に入る。
フィールドやヘンゼルトの弟子のヘルケにピアノを師事。即興演奏を得意とする優れたピアニストとなる。
近衛連隊に入るが、音楽に専念するため、1858年、退官。ロシア五人組のメンバーとなる。
1861年の農奴解放令により家の領地を失い、生活が苦しくなる。サンクト・ペテルブルクで運輸通信省の役人となる。
オペラでは、ロシア語の特性を取り入れ、話し言葉を音楽で再現。「ボリス・ゴドゥノフ」は、1871年、マリインスキー劇場が上演を拒否、全幕初演は1874年。
1874年のピアノ組曲「展覧会の絵」は、オリジナル版だけでなく、多くの作曲家によって様々な編曲がなされ、親しまれている。
晩年はアルコール依存症がひどくなり、心身に影響、放浪生活が始まり、経済的にも困窮する。
1879年、南ロシアを演奏旅行して成功を収め、一時立ち直る。
1881年、心臓病などにより、陸軍病院で死去。生活習慣の不安定さと42歳という早世だったため未完の作品が多く、その大部分はリムスキー=コルサコフが編曲、補筆して世に送り出した。
代表作:
◆ピアノ
スケルツォ(2曲)
展覧会の絵 Kartinki s vistavki
クリミア南岸にて Na yuzhnom beregu Krima
◆管弦楽
古典様式による交響的間奏曲 Intermezzo symphonique in modo classico
はげ山の一夜 Noch' na lisoy gore (リムスキー=コルサコフによる編曲)
カルスの奪回 Vzyatiye Karsa
◆声楽
子ども部屋 Detskaya
日の光なく Bez solntsa
死の歌と踊り Pesni i plyaski smerti
アウエルバッハの酒場でのメフィストフェレスの歌 Pesnya Mefistofelya v pogrebke
Auerbakha(別名、のみの歌 Pesnya o blokhe)
◆オペラ
結婚 Zhenit'ba(未完)
ボリス・ゴドゥノフBoris Godunov(リムスキー=コルサコフによる編曲は1896年、ショスタコーヴィチによる編曲は1940年)
オペラ・バレエ「ムラダ Mlada」(リムスキー=コルサコフ、ボロディン、キュイとの共作)
ホヴァーンシチナ Khovanshchina(リムスキー=コルサコフによって完成)
喜歌劇 ソロチンツィの定期市 Sorochinskaya yarmarka(未完。キュイによる補完、チェレプニンによる補完、シェバリンによる補完がある)
作品:管弦楽曲DB
作品:オペラ名曲辞典
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