オットー・カール・エーレンフリート・ニコライ
Nicolai, Otto Carl Ehrenfried
独 1810 - 1849
作曲家、指揮者。
指揮者であった父が子どもを神童にと望み、横暴で厳しい教育を受ける。16歳で父から逃れ、1827年ベルリンへ出、ツェルターの弟子となる。1828〜30年、王立教会音楽研究所でクラインのもとで学ぶ。1830年にはジングアカデミーに入団。
1834〜36年、ローマの公使館附属礼拝堂付きのオルガニストを務め、パレストリーナの音楽に集中的にとり組み、1835年、バイーニにも師事。ピアニストとしても活躍、ローマの社交界で人気の高い教師であった。
1837年、ウィーンのケルントナートーア劇場の指揮者となるが、翌年辞職、イタリアへ戻る。
1839年、オペラ「ロズモンダが「エンリーコ2世」のタイトルでトリエステで初演、1840年には「聖堂の騎士」がトリノで初演、アッカデミア・フィラルモニカ・ディ・ボローニャの会員に迎えられ、イタリア・オペラのマエストロとして認められるようになる。
1841年、宮廷歌劇場の首席指揮者としてふたたびウィーンへ戻り、後にウィーン・フィルハーモニー管弦楽団へと発展した「フィルハーモニー・コンサート」を発足、組織化し、1841年3月28日の最初の演奏会の指揮を務める。シェークスピアに基づくオペラ「ウィンザーの陽気な女房たち」が上演出来ないという理由で47年に辞職。
1848年、ベルリン王立歌劇場の楽長となり、またメンデルスゾーンの後任として同地の大聖堂聖歌隊指揮者に就任。 49年、このベルリンで念願の「ウィンザーの陽気な女房たち」の初演が実現。死去の2ヶ月前であった。
オペラの分野でイタリアとドイツの様式を結び付けるよう努めた。ドイツの伝統とイタリアの軽妙さを併せ持つ特徴がオペラ「ウィンザーの陽気な女房たち」に現れている。ドイツ・ロマン主義時代のコミック・オペラに基礎を築いた。
作品:
3つの練習曲op.40(ピアノ)
ピアノ・ソナタ ニ短調 op.27
ソナタ(ピアノ、ヴァイオリン)
弦楽五重奏曲 変ロ長調
序曲 ハ短調
交響曲ハ短調(1831)
交響曲ニ長調(1835、改訂 1845)
テ・デウム Te Deum(1832)
ミサ曲 ニ長調(1832)
主の祈り Pater noster(8声部の混声二重合唱)op.33
◆オペラ
イングランドのロズモンダ Rosmonda d'Inghilterra(エンリーコ2世 Enrico II として改訂)
聖堂の騎士 Il templario
追放されし者 Il proscritto(追放されし者の帰還 Die Heimkehr des Verbanntenとして改訂)
ウィンザーの陽気な女房たち Die lustigen Weiber von Windsor

ABC索引へ戻る
50音索引へ戻る
管弦楽曲DB-TOP
作曲家名簿TOP