ハンス・エーリヒ・プフィッツナー
Pfitzner, Hans Erich
独 1869 - 1949
1886〜90年、ホーホ音楽院でジェイムズ・クヴァストにピアノを、イヴァン・クノールに音楽理論を師事。
1892〜93年、コブレンツ音楽院で教える。1894年にマインツ市立劇場で無給のカペルマイスター見習いとなり、その翌年には有給の第2カペルマイスターとなる。初のオペラ作品「哀れなハインリヒ」初演。この頃、ヴィースバーデンのリーマンのもとで学ぶ。
1897年、ベルリンのシュテルン音楽院で作曲と指揮を教える。
1903〜06年、テアター・デス・ヴェステンスの首席カペルマイスター。
1907年、ミュンヘンのカイム管弦楽団の定期演奏会を指揮。
1908年にシュトラスブルク(現 ストラスブール)音楽院の院長および市の音楽監督となる。1910〜16年、同地でオペラ監督も務めた。第1次世界大戦後、ドイツへ戻り、ミュンヘンで短期間指揮活動。
代表作のオペラ「パレストリーナ」が作曲されたのはこの時期で、1917年、ブルーノ・ワルター指揮で初演。
1920年、ベルリン芸術アカデミーのマスタークラスを指導。
1927年、バイエルン・マクシミリアン勲章受章。
1929年、ミュンヘン音楽アカデミーに移る。
1936年、ドイツ第三帝国より帝国文化評議員に任命されるが、ただちにナチスに背を向ける。
1939年、ベートーヴェン賞とゲーテ賞を受賞。
作風は保守的で、「最後のロマン派」と言われた。
没後、1950年、ハンス・プフィッツナー協会が設立される。
代表作:
◆器楽
ソナタ op.1(チェロ、ピアノ 1890)
ピアノ三重奏曲 op.8(1896)
弦楽四重奏曲
第1番(1886)
第2番 op.13(1902)
第3番 op.36(1925 交響曲 嬰ハ短調に編曲、1932)
第4番 op.50(1942)
5つのピアノ曲 op.47(1941)
ピアノ協奏曲 op.31(1922)
ヴァイオリン協奏曲 op.34(1925)
チェロ協奏曲 op.42(1935)、op.52(1943)
小交響曲 ト長調 op.44(1939)
交響曲 ハ長調 op.46(1940)
◆声楽
家の精 Die Heinzelmannchen(低音バス、オーケストラ)
バラード「花の復讐 Der Blumen Rache」(女声合唱、アルト、オーケストラ)
合唱幻想曲「暗黒の帝国 Das dunkle Reich」(合唱、オーケストラ、オルガン、ソプラノ、バリトン)
◆オペラ
哀れなハインリヒ Der arme Heinrich
愛の花園のばら Die Rose vom Liebesgarten》
キリストになった小悪魔 Das Christelflein
パレストリーナ Palestrina(初演:ミュンヘン 1917)
心 Das Herz
作品:管弦楽曲DB
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