Pizzetti, Ildebrando
イルデブランド・ピッツェッティ
伊 1880-1968
作曲家。父にピアノの手ほどきを受け、1895〜1901年、パルマ音楽院で作曲をテレスフォロ・リーギとジョヴァンニ・テバルディーニに学ぶ。1905年にはパルマ大学で音楽史を学んだ。
パルマのレージョ劇場の副指揮者に就任し、パルマ音楽院で音楽史と対位法を教えた。
1908年にはフィレンツェのケルビーニ音楽院の作曲科教授となり、1917年に同音楽院の院長に就任。
1924年よりミラノのヴェルディ音楽院の院長。1930年頃より指揮者としても欧米各地で活躍。
1936〜58年、レスピーギの後任としてローマの国立サンタ・チェチリア音楽院で作曲のマスタークラスを指導し、1948〜51年、同院院長。
フィレンツェの新聞、ナツィオーネ紙や、ローマのトリブーナ紙の音楽批評も担当した。
同年代の作曲家カセッラやマリピエーロとともにイタリア現代音楽の創始者の一人。
幼い頃から音楽よりも劇に関心があり、オペラを多数作曲した。イタリアの歌劇の改革に努め、ヴェリズモ・オペラに対抗する立場をとった。2作目のオペラ、「デボラとヤエーレ」以降は自ら台本も手がけた。
代表作:
ピアノ三重奏曲(1925)
弦楽四重奏曲(2曲)(1906,1933)
交響曲 イ長調(1940)
ヴァイオリン協奏曲「エミリア地方の詩 Poema emiliano」(1914)
ピアノ協奏曲「最盛期の歌 Canti della stagione alta」(1930)
◆声楽
ナポリの2つの劇 Due liriche drammatiche napoletane(テノール、オーケストラ 1916-18)
合唱曲「アヴェ・マリア Ave Maria」(1897)
合唱曲「悲歌 Lamento」(1920)
レクイエムのためのミサ曲 Messa da requiem(1922)
◆オペラ
フェドラ Fedra(台本:ダヌンツィオ 1915)
デボラとヤエーレ Debora e Jaele(1922)
ゲラルド修道士 Fra Gherardo(1928)
異国人 Lo straniero(1930)
オルセオロ Orseolo(1935)
黄金 L'Oro(1947)
うぬぼれた雌狼 Vanna Lupa(1949)
イフィジェニア Ifigenia(1951)
カリオストロ Cagliostro(1953)
イオリオの娘 La figlia di Iorio(1954)
大聖堂での暗殺 Assassinio nella Cattedrale(1958)
銀の靴 Il calzare d'argento(1961)
クリテンネストラ Clitennestra(1965)
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