ヨハン・バプティスト・ヨゼフ・マックス・レーガー
Reger, Johann Baptist Joseph Max (Maximilian)
独 1873- 1916
作曲家。最初の音楽教育は母親から受け、1884年からリントナーにピアノとオルガンを8年間師事。13歳の時ヴァイデンのカトリック教会のオルガニストとなる。
父親が数学と音楽を教えていたヴァイデンの教員養成学校に1886年から89年まで通う。
1888年、父からプレゼントされたバイロイト旅行で「パルジファル」を観劇、音楽家になろうと決意、独学で大規模なニ短調序曲を作曲した。
師のリントナーが作品をリーマンに送り、リーマンに認められ、1890年、リーマンの弟子となり、作曲とピアノの基礎を学んだ。
1893〜96年、フロイデンベルク音楽院でオルガンと音楽理論を教える。
1896年から1年間の兵役に服し、重度の鬱になり、酒におぼれ借金を作り、1898年、心身ともに病んで実家に戻る。この時期に創作力が更に開花し、優れた作品を生み出すこととなった。
1901年、ミュンヘンに移り、演奏、作曲活動を行う。
1905〜06年、ミュンヘン音楽アカデミーで教える。1907年、ライプツィヒ大学の音楽監督となり、音楽理論を教える。
R.シュトラウスと並びドイツを代表する作曲家として認められ、多くの称号や勲章を受け、1910年以降、レーガー音楽祭も開催されるようになった。
1911年、ビューローの後継としてザクセンのマイニンゲンの宮廷オーケストラの指揮者に任命され、多忙な演奏旅行をこなすが、激務のため再び飲酒を始め、1914年に神経症となり、辞職。
しかしライプツィヒでの講義は続け、ふたたび各地で過酷なツアー活動を再開し、43歳で心臓発作で死去。
師リーマンの理論を基礎とし、バロック様式を取り入れ、伝統的スタイルを守った作品が多い。ヒンデミットに影響を与えた。
短い生涯のうちに、極めて多数の作品を残した。それはオペラと交響曲以外のあらゆる分野に渡り、特にオルガン曲は重要。19世紀には、オルガン曲は副次的な小さなジャンルにすぎなかったが、レーガー以降、作曲界でも重要な位置を占めるようになった。
代表作品:
ヴァイオリン協奏曲 op.101
ピアノ協奏曲 op.114
管弦楽 モーツァルトの主題による変奏曲とフーガ op.132
ピアノ バッハの主題による変奏曲とフーガ Variationen und Fuge uber ein Thema von J. S. Bach op.81(1904)
2台ピアノ4手 ベートーヴェンの主題による変奏曲とフーガ Variationen und Fuge uber ein Thema v. Beethoven op.86(1904)
◆オルガン
バッハの名による幻想曲とフーガ Phantasie und Fuge uber B-A-C-H op.46(1900)
交響的幻想曲とフーガ Symphonische Phantasie und Fuge op.57(1901)
オルガン・ソナタ 嬰へ短調 op.33(1899)
オルガン・ソナタ ニ短調 op.60(1901)
著作「転調論 Beitrage zur Modulationslehre」(邦訳『転調指針』小松清訳 東京創元社 1959)
その他多数。
作品:管弦楽曲DB
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