リヒャルト・ゲオルク・シュトラウス
Strauss, Richard Georg
独 1864 - 1949
作曲家。
父はミュンヘンの宮廷管弦楽団で第1ホルン奏者を務め、王立音楽学校の教授でもあった。
1868年からピアノを、1872年からヴァイオリンを始める。
1875〜80年、フリードリヒ・ヴィルヘルム・マイヤーに作曲を師事。
音楽学校には行かず、1882年にルートヴィヒスギムナジウムを修了、ミュンヘン大学で哲学と文化史を学ぶ。
父が率いるミュンヘン管弦楽協会「ヴィルデ・グングル」でヴァイオリンを担当。
1883〜84年、ベルリンで過ごし、H.v.ビューローと知り合い、ビューローの後押しによりマイニンゲンの宮廷楽団の副楽長となる。ここでオーケストラの指揮法を学び、この宮廷楽団を率いていたビューローが引退すると後を継ぎ首席指揮者として活動。
1886〜89年、ミュンヘンで宮廷歌劇場第3楽長。ここでソプラノ歌手パウリーネ・デ・アーナと知り合い、1894年に結婚。
1889年、ビューローの紹介で、ヴァイマルの宮廷劇場の副楽長となる。同年、音楽助手としてバイロイト音楽祭に参加。
1894年、初めてのオペラ「グントラム」の初演を指揮。ミュンヘン宮廷劇場へと戻り、副楽長となる。
1898年、第1宮廷楽長としてベルリンに招かれる。ベルリン・トーンキュンストラー管弦楽団、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、ベルリン宮廷楽団とも共演。
1908年、ベルリン宮廷歌劇場の音楽総監督。
1898年にベルリンに移ってからはオペラに作曲の重点がおかれ、1901年、オペラ第2作「火の災難」がドレスデンで初演。
音楽の分野での著作権の改革に尽力、これににより、1915年にGEMA(ドイツ音楽著作権協会)が創設された。
1919年、ウィーン国立歌劇場の指揮者となる。
1922年、自身が発起人でもあったザルツブルク音楽祭で指揮。
1933年、新設された帝国音楽院総裁にナチスにより任命される。
1935年、ユダヤ人作家ツヴァイク、ホフマンスタールと創作活動を共にしたためナチスと対立、音楽院を辞職。
ナチスは国際的名声をもつシュトラウスに手出しはしなかったが、シュトラウスはナチスと関わったため戦後は批判を浴びることとなり、スイスで隠遁生活を送る。
19世紀末のロマン派最後の巨匠、オペラと交響詩のジャンルでは最重要作曲家のひとり。大編成オケの豊かな響きと壮麗な描写力により優れた業績を残した。
代表作:
◆交響詩
ドン・ファン Don Juan op.20
マクベス Macbeth op.23
死と変容 Tod und Verklarung op.24
ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら Till Eulenspiegels lustige Streiche op.28
ツァラトゥストラはこう語った Also sprach Zarathustra op.30
ドン・キホーテ Don Quixote op.35
英雄の生涯 Ein Heldenleben op.40
◆声楽
8つの歌曲 op.10
4つの歌曲 op.27
3つの歌曲 op.29
5つの詩 op.46
5つの歌曲 op.48
6つの歌曲 op.56
6つの歌曲 op.68
4つの最後の歌 Vier letzte Lieder
◆オペラ
グントラム Guntram op.25
火の災難 Feuersnot op.50
サロメ Salome op.54
エレクトラ Elektra op.58
ばらの騎士 Der Rosenkavalier op.59
ナクソス島のアリアドネ Ariadne auf Naxos op.60
町人貴族 Der Burger als Edelmann
影のない女 Die Frau ohne Schatten op.65
インテルメッツォ Intermezzo op.72
エジプトのヘレナ die agyptische Helena op.75
アラベラ Arabella op.79
無口な女 Die schweigsame Frau op.80
平和の日 Friedenstag op.81
ダフネ Daphne op.82
ダナエの愛 Die Liebe der Danae op.83
カプリッチョ Capriccio op.85
◆バレエ
ヨゼフの伝説 Josephslegende op.63
ホイップクリーム Schlagobers op.70
作品:管弦楽曲DB
交響詩・交響曲
その他管弦楽曲
作品:オペラ名曲辞典
 歌曲オケ伴奏
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