ヨハン・バプティスト・シュトラウス
Strauss, Johann Baptist (父)
オーストリア 1804-1849
ワルツの父と呼ばれる。息子ヨハンはワルツ王。
元祖ウィンナ・ワルツ、ポルカの作曲家。
製本職人の訓練を受けたが、音楽に専念、ミヒャエル・パーマーとランナーのアンサンブルに参加、1819年、弦楽四重奏団を結成、ヴィオラとヴァイオリンを弾く。その後楽団は規模が拡大してオーケストラとなる。1825年、自分の楽団を結成、舞曲を書くようになる。当初は作曲の教育を受けたことがないままで、後にザイフリートに作曲を学んだ。
1832年、第1市民連隊の楽長。
1833年以降、国内外で演奏旅行、大成功。
1836年、ウィーンの名誉市民。
1843年頃、息子ヨハンがウィーン音楽界の新しいライバルとして現れ成功、しかし息子が音楽の世界に進むのは反対で勘当。
1848年、革命では皇帝派側につき、「ラデツキー行進曲 Radetzky-Marsch」、「イェラチッチ行進曲 Jellacic-Marsch」を書く。
作品は5種類のワルツを序奏とコーダの間に入れる構成をとり、わかりやすい和声とメロディーで親しまれ、精緻さと活気をもった演奏スタイルで人気を呼んだ。
作曲様式は3人の息子、ヨハン2世、ヨゼフ、エドゥアルドにより引き継がれ、ウィンナワルツが完成された。
作品は、
ワルツ(149曲)
カドリーユ(34曲)
ギャロップ(29曲)
行進曲(16曲)
ポルカ(14曲)
その他作品番号のついていない舞曲が約50曲など、多数。
作品:管弦楽曲DB
ABC索引へ戻る
50音索引へ戻る
管弦楽曲DB-TOP
作曲家名簿TOP