ゲオルク・フィリップ・テレマン
Telemann, Georg Philipp
独 1681 - 1767
父は牧師。マクデブルクの旧市街の学校でベネディクト・クリスティアーニから短期間音楽の手ほどきを受けたが、楽器の演奏も作曲もほぼ独学。少年時代に最初のオペラ「ジギスムント
Sigismund」を作曲。この作品は消失している。
1694〜97年、ツェラーフェルトの学校で学び、教区監督のカスパー・カルフェールの教えを受け、自作の祝祭カンタータを指揮。
その後ヒルデスハイムでギムナジウムに通い、聖ゴーデハルト修道院で教会音楽の指揮を務めた。
1701年、ライプツィヒで法律の勉強を始める。市長に認められ、聖トーマス教会のためにカンタータを書くようになる。法律の勉強はやめ、音楽に専念。
1702年、学生たちからなるコレギウム・ムジクムを創設、ライプツィヒ・オペラの監督となり、オペラの作曲も行った。1704年、新教会(大学教会)の音楽監督兼オルガニストに就任。
1705年、ゾーラウ(現 ポーランドのジャールィ)でエルトマン・フォン・プロムニッツ伯の宮廷楽長を1年間務める。この時、ポーランドの民俗音楽に触れ、それは後の作品に反映されている。
1706年、アイゼナハに赴き、J.S.バッハと知り合い、その後14年には、カール・フィリップ・エマヌエル・バッハの名付け親となる。
1712年、フランクフルトに移り、市の音楽監督と跣足教会の楽長に就任。
フランクフルト時代には、1717年にアイゼナハ宮廷から、また1723年にはバイロイト宮廷からも、不在のまま楽長職に任命された。
1721年、ハンブルクの5つの主要教会の音楽監督および聖ヨハネ学校のカントルとなり、その後は終生ハンブルクで過ごした。
1722〜37年、ハンブルクのゲンゼマルクト歌劇場の音楽監督。
生前から非常に愛された作曲家で、その作品はあらゆるジャンルに膨大な量に及び、現在もに完全に分類整理がなされていない。
フランスとイタリアの様式を結合し、ポーランドの要素もとり入れている。また当時流行していたギャラント様式や多感様式も含まれる。安定したリズムは「ミシンのリズム」と形容される。
社会的にも大きな成功を収め、富と栄誉に恵まれた生涯であり、生前の名声は大バッハを凌ぐものであったが、死後忘れ去られた。20世紀に入ってから再発見され、LPレコードにより広く知られるようになり、研究や演奏の機会も増え、人気作曲家のひとりとなっている。
代表作品:
無伴奏フルートのための12のファンタジア
無伴奏ヴァイオリンのための12のファンタジア
ターフェルムジーク Musique de table
マルコ受難曲
オラトリオ「最後の審判」
器楽・声楽曲集「忠実な音楽の師 Der getreue Music-Meister」
作品:管弦楽曲DB
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