ジュゼッペ・ヴェルディ
Verdi, Giuseppe Fortunino Francesco
伊 1813 - 1901
19世紀を代表するイタリア・オペラ作曲家。ドイツ・オペラを代表するワーグナーと同年生まれ。
宿屋の息子で、幼い頃から音楽の才能を見せ、9歳でロンコレの教会オルガニストに採用された。
1823年、ブッセートのギムナジウムに入り、町の音楽監督フェルディナンド・プロヴェージに師事。
音楽愛好家でブッセートの楽友協会では会長であった商人アントニオ・バレッツィの援助を受け、勉強を続ける。
1831年、バレッツィの屋敷に移る。モンテ・ディ・ピエタ奨学金を得、ミラノに出る。
しかしミラノ音楽院への入学は拒否され、ラヴィーニャの個人レッスンを受け、3年間学ぶ。
ブッセートへ戻り、1836年、師のプロヴェージの後任として音楽監督となる。同年、後援者バレッツィの娘マルゲリータと結婚。
1839年、ミラノへ戻る。出版社リコルディと長く協力関係を持ち、 スカラ座から作曲依頼を受け、仕事上は恵まれたが、子どもや妻が次々と他界。その中で「ナブッコ」を数ヶ月で書き上げ、1843年初演、成功。
1869年、24年ぶりにミラノ・スカラ座に復帰、「運命の力」改訂版を上演。
1872年、スエズ運河開通記念でカイロのために作曲された「アイーダ」のヨーロッパ初演、成功を収める。
1874年、ミラノのサン・マルコ教会で自身の指揮により「レクイエム」初演。
1884年から「オテロ」の作曲を始め、翌年完成したが、舞台美術などを練り、リハーサルを重ね、1887年2月、ミラノで初演。大成功となる。
慈善事業にも熱心で、1888年、ヴィッラノーヴァに病院を設立。
書き上げるのに3年以上かかった「ファルスタッフ」は1893年に初演、大成功。
ミラノで卒中の発作で倒れ、1901年死去、自身が設立した「音楽家のための憩いの家 Casa di riposo per musicisti」に埋葬された。
代表作:
弦楽四重奏曲 ホ短調
レクイエムのミサ曲 Messa da Requiem
4つの聖歌 Quattro pezzi sacri
作品:オペラ名曲辞典
作品:管弦楽曲DB

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