ボリス・ゴドノフ
その背景と史実
1591年将来皇帝を継ぐべきイワン雷帝の9歳の末息子ディミトリーが殺された。当時摂政として権力を握っていたボリス・ゴドゥノフの仕業という人もいたが事実は不明。1598年にボリスはロシア皇帝につき7年間誠心誠意つとめる。しかし飢饉や内乱により国内は不安定だった。そこに自らディミトリー皇子と詐称する者が現れポーランドで挙兵する。1605年ボリスが没し、ついにモスクワへ入城しボリスの息子フィヨードル2世を殺害し皇帝につく。その後ポーランドで挙兵に恩があったマリーナ・ムニシェクと結婚。しかし翌年シェイスキー公に殺害される。
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