ニコラウス・アルノンクール

 ハノン?合唱?

この名前を聞いたのは、モーツァルテウム音大で勉強をはじめて、しばらくたったある日でした。
同じ指揮科で勉強するアメリカ育ちの韓国人の友人が、「ハノンコーアというすごい古楽の教授がいるけど、お前は知っているか?」と問いました。
ハノン合唱??なんだそれ??
ハルノンクール、スペルは Harnoncourt と書きます。ドイツ語はHを発音しますから、ハノンコーア(ピアノのエチュード=ハノンと、コーア=合唱)に聞こえてしまうのです。
このハルノンコーア教授が日本でアルノンクールと表記されるのを知ったのはずいぶん先になってからです。

アルノンクールはウィーン・コンツェントゥス・ムジクス(バロックのオリジナル楽器を集めた室内楽)の指揮者としてすでに異才を放つ存在でしたが、その授業を覗きに行ってびっくりしました。チェリビダッケの講習会と、ある意味で似た雰囲気でしたが。アルノンクールの口から飛び出す言葉の勢い、スピード・・・つまりは説得力に圧倒されました。

一般に古楽の指導者は、他の分野に比べて、そのバロック音楽の雰囲気同様に、のどかな、のんびりした、田舎の校長先生タイプの人が多いのですが、アルノンクールは全く逆のタイプでした。よくテレビで為替のディーリングルームの様子が映し出されますが、その中で「10本(10億円のこと)買った!!!!」と叫んでいるあの人・・・そうです、正にあの勢いです。

その教祖の口から発せられた言葉は、確かな歴史的知識の上に立ち、決してがむしゃらな解釈を強要している訳ではありませんでいた。

しかし丁度私が在学中の80年前後から、それまで古楽一辺倒だったアルノンクールの指揮活動が、次第にモーツァルトにまで及び、ついにアムステルダム・コンセルトヘボーやウィーンフィルといった一流のオーケストラと共演するに至り、廻りの状況は一変しました。

ご存知ザルツブルグはモーツァルトの町です。いい意味でも悪い意味でも伝統としがらみがはびこっています。これは音楽の解釈にしても同様で、あまり斬新な解釈は、まず生理的に反対してしまうのです。伝統という名で飯をを食っている人にとっては、彼のモーツァルトを認めることは自分が生きていけなくなることに繋がるのです。そして正にアルノンクールはこの斬新、強烈なモーツァルトを披露しました。

一言で言うと、アルノンクールのモーツァルトのフォルテは今まで耳にしたことがないほどの、強烈なアクセントでした。このアクセントがあまりにも強烈なため、他の、ひょとするとすごくいい解釈がかき消されてしまうほどのものでした。

次の日の指揮科の授業では、早速このアルノンクールの解釈が話題になりました。
賛成派は新しい音を作り出したことに対する賛美。反対派(私もその一人でしたが)は、出た音が汚いのだから、嫌い!!と分かれました。ビンベルガー教授は、もちろん自分自身がザルツブルグ生まれのモーツァルト指揮者で、パルムガルトナー、ベームといったモーツァルト指揮者を敬愛してきたわけですから反対派でした。そして教授の一言、アルノンクールを造り上げているのは、レコード会社の思惑だ!つまりレコードは新しい演奏でなければ、何時まで経ってもベーム/ウィーンフィルのレコードしか売れない。そこで古楽のスペシャリストの、全く新しいモーツァルトのアプローチということで市場が開ける・・・この事を聞き、急にこのアルノクールに対しての熱は冷めてしまいました。

さて時は過ぎ、久しぶりでこのアルノンクールに出会いました。といっても実際に会ったわけではありません。私がバッハのロ短調ミサを指揮することになり、いろいろな録音を調べていたところ、このアルノンクールが1968年に指揮したLPレコードに出会いました。当時ようやく再編集されたバッハの原典版を使った、最新の解釈・・・嬉しかったです・・・本当に・・・何がって?・・・音楽をするということは、すべてのことをふまえ、作曲家と自分が対話するという事を、あのアルノンクールもしていた・・・そして、わたしもそうしなさいと語りかけてくれました。

カラヤン、チェリビダッケに引き続き、思っても見なかったアルノンクールの「巨匠の思い出」を作ることになりました。三人の「思い出」を作ってつくづく思うことは、「巨匠」とは「教祖」のことだということです。私は「アルノンクール教」の信者?にはなったことがなく、本当に数回授業を覗いたくらいで、こうやってご紹介するのは最初ちょっと抵抗がありましたが、当時のザルツブルグの戸惑いの様子を少しでも伝えられたら幸いです。

97年4月

Nicolaus Harnoncourt

1929年ベルリン生まれ。1948~69年ウィーン交響楽団のチェロ奏者。1953年古楽器を用いたウィーン・コンツェントゥス・ムジクスを結成。モンテヴェルディー、バッハ、モーツァルトなどの解釈で独自の世界を確立。近年はアムステルダム・コンセルトヘボー、ウイーンフィル、ベルリンフィルなのど指揮台に登場。今、正に時代の寵児として注目されている。

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