1997-7-18 東奥日報
創作の合間に〜郷土に生きる

実力磨き世界目指す

「音楽は好きだけど、歌はちょっと苦手」そう思っていた「吹奏楽大好き少女」が、いくつかの転機を経てこの9月、アメリカのジュリアード芸術学院大学院声楽科にロータリー財団奨学生として留学する。
400人がテープ審査に応募し、受かったのは大学と大学院、合わせてたった10人ほど。在籍する東京芸大大学院を休学して渡米する。「世界のトップレベルに触れられるまたとない機会だから頑張らないと」。柔らかく深い声でゆったりと語る。
小さいころから音楽好き。5歳でピアノを習い、学校に入ると吹奏楽部でパーカッション、ユーフォニューム、サックス…とさまざまな楽器を手にしてきたが、歌だけは「いざ歌うとなると声が出なくて」避けていた。
ところが、岩手大学教育学部に入って「教員になるなら『歌は苦手』なんて言っていられない」と、思い切って合唱団に入り声楽を学んでみると、欧米人に引けをとらない体格やオープンな性格が生かせた。

〜アメリカでどんな人と出会えるのか楽しみ〜

歌う楽しさを知るとともに、メゾソプラノとしての頭角を現した。意識が「世界」に向かってぐんと広がったのは1995年、松本市で行われたサイトウ・キネン・フェスティバル松本の公演に合唱のメンバーとして参加した時。
約一力月、イギリスの演出家に細かい発音から所作まで、的確に厳しく指導され、歌手育成に力を入れる欧米のオペラ劇場の態勢を目の当たりにして、日本との差を痛感したという。
「確かにこの作品に関してはよく訓練されたかもしれないが、どの曲にも通じる技術とはまだいえない。海外の学校でもっと勉強して自分の本当の力を付け、欧米の劇場でも歌えるようになりたい」。
メトロポリタン歌劇場やフィルハーモ二−など一流に触れられる環境を持ち、世界のトップを狙う若者がしのぎを削るジュリアードに的を絞ったのは、その夢の実現に向けた第一歩だ。
旧知の先生もいなかったがテープ審査を受けたら合格、三月に本審査を受けた。

会場は学内にあるジュリアードシアタ−で、800ほどの客席に審査員8人が座っていた。通常通りの課題を二曲を歌い終え戻ろうとしたところ、「ちょっと待って。あと二曲聴きたい」と審査員の声。予想外の展開に戸惑ったが、ピアニストに励まされて何とか歌い終え舞台のそでに引き上げると、受験者が回りを取り囲んで「プラボー」と声を掛けてくれた。

日本人離れした声質、発声法、表現力が既に注目を集めている。「でもまずは英語を鍛えないと。一年間の英語特訓コースの後で試験に受からないと、学籍を失うんです。卒業すると『ジュリアード』の名を背負うわけですから」。選ばれたという事実の重さと「一流」を目指す世界の厳しさを目覚しながら、自らの可能性を試す日々を心待ちにしている。


HOME目次つぎのページ