1999-11
10月30日、今日はLICIA ALBANESE PUCCINI FOUNDATION INTERNATIONAL COMPETITION の入賞者によるガラ コンサートでした。このコンクールは毎年4月ごろに行われ、私は2回これまでに受け2回目にしてようやく、入賞(2位)を受賞しました。このコンサートでは毎年、入賞者の演奏のほかにかつて、アメリカを、世界を沸かせた往年の歌手達が出演するのがもう一つの目玉になっていて特に今年はあの!ジュリエッタ シミオナートがはるばるミラノからこのコンサートのためにNYへやってきました。

彼女は私にとっては神様の様な存在でまさかこうしてNY出会うことができる、とは夢にも思っていませんでしたから実際にあってお話をした時はこのまま死んでもいい!と思ったほど、(私にしては珍しいのでが)どきどきしてしまいました。
もう、83歳の彼女ですがそのりんとした美しさ、長年のキャリアからにじみ出るオーラ、貫禄そのすべてが素晴らしく、彼女がステージにゲストとして現れた時などは、観客全員が総立ちで彼女を称え、それに優雅に笑顔で応じるシミオナートの表情は光り輝き、今にでも一曲歌い出すのはないかと思うほど、舞台人としてのはりつめた、いい意味での緊張感が全身から湧き出ていたのはきっと一生わたしの脳裏に焼き付いてはなれないと思います。
(シミオナートのプロフィールは写真をクリックしてください。)
私はこの日は4分以内のフランス語のアリアを、というMs Albanese からのリクエストがあったので、Samson et Dalila からAmour、viens aider ma aiblesseを歌いました。演奏者本人の感想と観客の感想というのが一致することはなかなかなく、私がその演奏をどのようにしたか、ほかの聞いていた人がどう思ったかについてはお話しするのは今度にしたいと思います。

それからこれは日本ではどうなのかわからないのですが,このコンサートには各音楽事務所のマネージャーなども来ていて、スカウトする歌手が以内か探しにくるコンサートでもあります。ただたった一曲のアリアではわからないことも多いので、ここで目をつけて後はいろいろと追いかけたり情報収集をしていろいろな角度からその歌手のタレントを探るんだそうです。それからニューヨークシティーオペラのプロダクションマネージャーも来ていたそうです。

コンサートの後はカクテルパーティー、ディナーパーティーがあり、私たち若手はカクテルだけ招待され、財団を支える大金持ちの人々や往年の歌手達と歓談しました。
NYのパーティーには、熱があっても、這ってでも行け、ということわざがあるのですが、誰が来ているかもわからない、誰とどんな話になって翌日から人生が大きく変わるかも知れないからです。私はLiebergesell氏夫妻とお話を主にしていたのですが、ご夫妻は気持ちよくいろいろな方に私を紹介してくださいました。それの方々とはこれから連絡をとっていくのでこの紙面では具体的に何か決まってきたらお話します。

とにかく、。私のこの週末はジュリエッタ シミオナート一色だったことを誰かにお話したくてこうしてコンピューターに向かった次第です。聞いてくださって有り難うございました。
それでは皆さん、素晴らしい一週間をお過ごしください!

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