ジュリアードの風景〜製作ノート:
このHPは鳴海真希子さんの友人で、共演者でもあった、私、佐々木修が1997年から製作しています。
1996年2月、私は小田原でヘンデルのメサイヤを指揮しましたが、そのアルトソロとしてはじめて鳴海さんとお知り合いになりました。その並はずれた鳴海さんの声と音楽性は、まったく初めて鳴海さんを聴いた聴衆の心に深く刻み込まれました。
また驚いたことに、鳴海さんのご出身が、偶然にも私と同じ青森県だったことです。私は早速、その年末に私が指揮する予定だった青森の第九のソリストとして推薦しました。そして、次の年の3月にジュリアードの合格を知ることになります。
私は、音楽家として、ジュリアード音楽院の声楽科に入学することがどれほど難関かを知っていましたし、その時改めて、メゾ・ソプラノというそれほど目立つ役柄ではない彼女を、聴衆があれほど夢中になった事を思い起こし、この留学の、その時々の出来事を日記という形で、広く皆様に知って頂きたい。それにより、鳴海真希子のファンを増やして頂きたいと願いました。
そこで青森の地方紙である東奥日報に、留学日記という形での連載をご提案し、現実になったものが「ジュリアードの風景」です。この題は担当の小畑記者が本当にピッタリのタイトルを付けて下さいました。
また地方紙では読者にも限りがありますので、私が平行してホームページを製作することにしました。新聞の記事をそのまま掲載することは、著作権上の問題もありましたので、鳴海さんが新聞社と私に同時に寄稿するという形をとらせていただきました。
新聞の連載は98年5月に終了しましたが、勉強に無理のない程度にHPにご報告下さい。ということでご了解頂き、継続が決まりました。98年10月には、次の年度の奨学金のことでお困りの様子がはっきりわかるお便りが届きました。このような中、99年には「鳴海真希子後援会」が発足して、彼女が最も信頼を寄せる、後藤田さん、金子さん、安達さんをはじめとする後援会の方々による物心両面でのサポート体制ができました。
98,99年夏のアスペン音楽祭、ジュリアードオーケストラとの2回のマーラー共演、タングルウッドでの小澤征爾さんとのファルスタッフ共演…すばらしい瞬間が記録されました。
私は、HPの制作者として、これまで、鳴海さんの活動に妨げにならないようにする。そして鳴海さんの勉強の妨げにならないように、寄稿の催促はしない、という2点に留意してきました。
今回の鳴海さんの悲報にふれ、このHPを大幅にメンテナンスしています。主な点は以下の通りです。
1)鳴海さんからお預かりしていて、これまで掲載していないものを極力掲載する。
2)写真も再処理する。
3)追悼記事の部分を製作する。
4)英語版を製作する。これは後援会の安達さんのお嬢様である村本さんのご厚意で翻訳が進んでいます。
5)鳴海さんの演奏の録音をHP上でご紹介する。
鳴海真希子という希有の才能と人間性を持った歌手が生きた証として、また、その人間を心から愛して頂いたニューヨークの友人へのお礼として、このHPを製作したいと思います。