衛生学教室Newsから(その1)退官記念会
1986.2.14.(昭和61年)
最終講義と退官記念会
今日は最終講義の日。廊下に案内板でる。「先生 写真とりましたか」
最初にして最後の義理チョコですがといいながら、チョコレ−トをわたす人あり。教授室の机のうえに一内の某君からの花籠あり。講義の準備は学務。マイクやスライドの調子はどうかな。講堂の様子を見に行く。
「教育学部の発表会は午前中にすませてきました」
はやく行かないと席がとれないと、武田先生一番のり。
午後3時50分学部長室へ。
「先生はあとからです」と東野修治学長と山口富雄医学部長。
−−講堂は満員の人−−後ろに立っている人がいた−−スナップをとる工藤さんとVIDEOのカメラに迎えられる。
司会遠藤正彦学務主任、開会の言葉山口学部長。
最終講義「研究うらばなし」佐々木直亮
「今日は出席がよいようで。この言葉に色々深い訳があります−−。昭和29年に始めて医事法制の講義をしたとき講堂に学生が一人だったことがありました。その一人の為に講義をしたのです。30年たった今もそのことを覚えていてくれた話を聞いて感激しました」
「ラストシ−ンは夕暮れに浮かぶ岩木山−−」
”今後も健康問題の変貌はあるだろう。私はその中のほんの一ペ−ジを見ることができた”
と翌朝の東奥日報は伝えていた。
花束贈呈、記念品贈呈、チョコレ−ト、エ−ゲ海に浮かぶヨット(Let's go to the Island
of Cos)までも。次々とひきもきらず。花にうもれて、もちきれず。
−−しあわせだな−−
「先生は医学部で医師国家試験を受けないで医師になっただだ一人の人。若かわかしい先生いつまでも」山口医学部長の閉会の言葉より
午後6時半から「佐々木直亮先生停年記念祝賀会」ホテルニュ−キャスル。
その前に「夫婦の記念写真を」幹事の取り計らいで。
「わたしから入るの」拍手に迎えられ入場。
「生まれて始めての司会」(福士襄先生)「開会の言葉・大変お待たせしました。思い出に残る会に」(竹森幸一先生)
発起人代表小野淳信先生挨拶「昨夜考えたワ−プロの祝辞」「教授20年はミス」「佐々木学の大成」「弘前のどこがよくて来られたか」「無名の弘前を世界の弘前へ」「よそへ行かれては大変」「チョコレ−ト上げたい人は2000人」「医師会の顧問に」(奥様はマドンナ)が原稿にあったとか。
ご来賓中村久造先生「日頃お世話になっている弟子の一人」「感情論より論理的」「スマ−トなコンピュ−タ」「歩んだ道に悔いはないのか」「教室に入ってよかったな」「ハイジエイヤの最高のナイト(チョットエッチなが抜けていた)」
保健婦代表加賀スサ先生「大学の外での保健婦活動にも」「講義には時間におくれず、津軽時間をかえて」「パ−トナの保健婦は保健婦さんと呼びましょう」「夏季保健活動のこと」「これが現在の発展へ」「現場の中から研究を」「求めれば本当におしみなく教えて戴いて」「広い心でいつまでもお元気で」
記念品贈呈(小野先生)花束贈呈(竹島さん・武田さん)
お礼の言葉「真面目な先生が多いようで」「丁重なご挨拶有り難う」「教室ニュ−ス配付の範囲で心温まる会をどうも有り難う」「ニュ−スの一行一行の説明をすれば思い出はつきないが」「これから東北女子大学のスタッフとして”健康科学”をやってゆきたい」「若い女性に囲まれるのは”長寿”の条件か、家内がどう思うかはわからないが−どうぞお勝手に−」「もう一つは”りんご健康科学研究所”の種をまきたい」「種そだて肥やしに化ける記念品」「家内にまで花束を戴いて、”わ、めぐせ”というでしょう」「教室で手伝ってくれた方々が大勢来て戴いて有り難う」「”私の花束を受けて貰いたい人がいる”そういえばもうおわかりでしょうが、へたな字の原稿を判読してタイプしてくれた方へ”花束贈呈”うども有り難うございました」
乾杯の音頭村上利先生(高橋先生時代・現在法医学教授)「医学部の歴史と共に30年 ご苦労様でした」「これからの30年の健康とご発展と参会の皆様のご発展を祈念して−−乾杯」
スピ−チ武田壌寿先生「この日によろこんできたであろうご三人”金鵄勲章の高松功先生””大鰐がんなべの藤田良甫先生””たけるたけるの羽賀与七郎先生”のことを思い出す」
昭和31年12月大鰐忘年会
伊藤・福士・武田・斉藤 川岸・能美・佐々木・羽賀・成田
藤田先生学位第一号(昭33) 高松先生(昭55)
長いおつきあいのの町田泰助さん(千葉ヨット、鵜飼恒先輩に教室であったのが運のつき)「医学部にヨット部をつくり、色々なことがありました」「私にとっては青春のモニュメント」「とても元気な息子さん、”カラヤンの弟子の修さん”、たとえ教授の息子といえども軽くピシャとやりました」「サイレントネ−ビ−」「3S−スピ−ド・ステデイ・なによりスマ−トな都会的海軍士官」”拍手がありました”「先生だけが髪黒ぐろと」「4月1日にはゴ−アヘッド」「さらにさらに幸運な航海をお祈りして」
「ニュ−スのなかで英語とドイツ語の試験を受けたのは私」(津島律先生)「まずはバレンタインの贈り物を」「退官講義のラストシイ−ンは印象的」「窓のそばで歌曲を歌う先生にひかれました」”随分あなたキザね−蔭の声”「下風呂温泉でご一緒に汗を流して」”私にはさそったのにふられたことしか記憶にありません−追加発言”「そこの地域の言葉”ニャッチャ”をいれて講演された」「看護は、ナイチンゲ−ルは、自分の目でといわれ、私もイギリスで自分でみることができました」「よりゆたかな生活を」”作詞作曲ブル−ス思い出の弘前”は発表の機会なし。
一番古い先輩の南黒医師会長伊藤弘先生「十和田の新渡戸さんのところで、先生の先生の原島進先生が弘前で良い仕事をされている佐々木教授を母校の教授へとモ−ションをかけたら、私は津軽から動きませんと答えられたとのこと。あいつは立派な男なのに、普通なら東京へ帰るというだろうに、なんという−−そういう生き方もすばらしいねと原島先生が言われたそうです。それで今日の佐々木教授がある、と今日黒石の保健所運営委員会で聞いた”秘話”を紹介、ぜひ皆様にお伝えする義務がある」−−伝説はつくられるね−−
笹原郁子 工藤由紀子 三浦清子 小野淳信 柴垣和子 小野チエ 吉田幸子
石山隆一 三上聖治 三上聖治 工藤輝昭 仁平將
中村久造 福士襄 竹島千秋 上村秀樹 佐藤久美子 武田俊子 神裕
拍手の中を退場。二次会は如何でしたか。
もとへもどる