「MMK」とは「もてて・もてて・こまる」という意味で、海軍時代に覚えた言葉である。
NHKの「日本人の質問」問題によく出る「業界用語」の一つであると思う。
昔の資料を見ていたら、いくつか海軍時代の資料が出てきた。
戦争に負けたとき、「すべての関係資料は焼却廃棄せよ」との伝達があったのだが、個人的な資料は焼くにしのびなかった。だから何でもとっておく先生といわれる所以であると思うが、一部黒塗りのあるノ−トであるが、今になって思うと、それなりに貴重であり、資料・記録にはなるのではないかと考えるのである。
青島(チンタオ)での訓練のあと築地の海軍軍医学校にもどった時代に色々なことを教育された。その記録がある中に、「海軍隠語」というノ−トがあった。卒業して実施部隊へゆくと「覚えておかなくては」ということで教えられたとの記憶であり、ノ−トにはABC順に書かれていた。
A arm ア−ム 腕 「貴様ア−ムがある」
after アフタ− 後 「後家さん」
B ba バ 「婆さん」
babyu バビユ 「子供ができる」
b.c. ビ−シ− 「ロハ」
bath バス 「風呂」
body ボデイ 体 「女の体」
bank バンク 銀行 「貴様バンクだ(金を沢山もっている)」
ball ボ−ル 「きんたまHoden」
black ブラック 黒 「黒人」
band バンド 「Schwangerschafut義兄弟の関係」
book ブック 書物・本 「横須賀のレス本牧をさす」
b.u. ビ−ユ− 「アンシェ−ン・ブス」
C curve カ−ブ 「カブをあげる」
サ−公 「ダンサ−」
C-cream 「性病予防クリ−ム」
c.a. シ−エ− 「カフエ−」
class クラス 組
same corresponding コレス 「同期の」
copper コ−ペル 銅 「daughter 娘」
current カレント 流れる 「レスで2-3日続けて泊まること」
チョンガ 「独身者」 「セミチョンガ・純チョン・準チョン」
captain キャップ 「艦長」
ケップガン 「次室士官長」
D d.a. デイ−エ− 「ダンスをやろう」
deck officer デッキ・オフィサ− 「甲板の士官」
ダマヘル 「むっつりスケベ」
E engagement エンゲ 「婚約者」
enemy エネミ− 敵 「Sの相手」
F フック・エフル 「ふられる」
f.u. エフ.ユ− 「ふんどし」
face フェイス 顔 「女の顔」
f.f.k. エフ.エフ.ケ− 「ふられて ふられて 帰る」
fish フィッシュ 「Sと一緒のザコネする」
G g ジ− 「私娼」
ギヤ− 道具 「女の・・」
go ゴ− 「艦門ゴ−・・」
god ゴッド 神 「おかみさん」
great グレ−ト 大 「大便」 スモ−ル small 小 「小便」
H heart ハ−ト 「心情」「スモ−ル・ハ−ト気が小さい」
house ハウス 「Pハウス・Sハウス・Gハウス」
help ヘルプ 「スケベイ」
ヘル・ペ−パ− 「チリ紙」
head ヘッド 頭 「先任者」
ハンモック・ナンバ− 「序列」
ヘベル 「飲んでとまるとき」
ハマ 「横浜の」
I インチ 「親しい」「ハ−ト・インチ ギヤ−・インチ」
イモホル 「あばれる」
一枚 「十円札一枚」
K k.a. カカ− 「妻frau」
k.g. ケ−ジ− 「毛ジラミ」
k..i. ケ−アイ 「キス」
カワ 「佐世保のレス」
コンマ 「副長」
L long ロング 「鼻の下の長いこと」
ルッキング 「見合い」
M M エム 「もてて」
MMK エム・エム・ケ− 「もてて もてて こまる」
morning モ−ニング 「モ−ニング・スタン朝立ち」
marriage マリッジ 「結婚」
maid メイド m.a.「レスでSでない給仕女」
G ゲル 「お金」
N エヌル 「のろける」
nice ナイス 「ハ−ト・ナイス ギヤ−・ナイス ボデイ・ナイス」
O o.d. オ−デイ 「おでんや」
P p ピイ 「公娼」
plum プラム 「梅毒」
パイパン 白
ホスル p.o.s.「勢力半減」
プレ− Sプレ− メイドプレ− Gプレ− Pプレ−
パイン 「横須賀のレス」
R restaurant レス 「料理屋」 smallレス 「待合いで先にやる」
red 赤 「月経」
r ア−ル 「淋病」
round ラウンド「呉のレス」
ロック 「呉のレス」
ラ− 「ペニス」
S s エス 「芸者」
stop ストップ 「女と一緒に泊まる」「シングル・ストップ ショ−ト・ストップ」
side サイド 「横ね」
soft ソフト 「軟性下疳」
s.a. エスエ− 「コンド−ム」
special スペ 特 「スペ公・スペサン・特務士官」
small 小 「小便」
スコ 「水交社」
T チング wating 「待合い」
blood test 「血液検査」
V virgin バ−ジン 「処女」「男女とも」
W white 白 「素人」
water up ウヲ−タ−・アップ 「水揚げ」
woman ウ−マン 「女」
wash ウヲシユ 「洗滌」
ヤマ 「佐世保のレス」
Z zu 「ズベ公」
海軍はイギリス流であったから、英語が基本であることは理解されるが、その隠語の大半は「性」に関係することであることが分かる。公娼制度があり、公娼がいた時代ではあるが、これらの言葉は下士官・兵にはもちろんのこと、一般には通じない言葉で、隠語の隠語たる所以のものである。
昭和19年4月16日東京築地にあった海軍軍医学校普通科学生の課程を卒業後、鹿児島串良航空隊赴任の前に土浦航空隊で「軍医科士官臨時講習」を受けた。後年群馬大の教授になられた大根田玄寿軍医大尉(ダイイ)(慶應大昭15卒の先輩)が分隊長でおられ、講習を受けた記録がある。
4月22日午前11時東京駅発鹿児島行き急行に乗り込んだ。前日駅長事務室で鹿児島方面への同僚7名の席を確保した記録がある。海軍士官は制服をきているときは2等車でなければいけなかった。今のグリ−ン車である。車内には陸軍・海軍の士官達が沢山乗っていた。途中大阪から乗り込んできた鹿屋へ行くという主計大尉に、鹿児島での一泊の宿へ案内されることになった。23日18:40着、一番長い汽車旅行であった。そして行く先は鹿児島市内の海軍士官用料理屋平の屋という「レス」であった。
料理・ビ−ル・酒その上「エス」が入れ替わり立ち替わり、歌も弾んだ。そうとう露骨な歌も出た。 「ネ−ビ−」の「オフィサ−」はみんなこうで、あたりまえだという。「エス」に「ここにきた訳を聞いてみると」(アンケ−ト調査のはしりか)半分は家のため半分は面白おかしくという答えだった記憶がある。
「メイド」が盛んに「今日はシングルですか」と耳元でささやく。「今日はフィシュだ」といいながら、11時半ともなれば、どこかへしけこむ人もいる。翌朝の勘定清算のとき一円組みと十円組みとあった記憶がある。「シングルでよかったか、ダブルが快適であったか知る人ぞ知る、各個人個人によるであろう」と日記にあった。
「だから戦争にまけたのですよ」とよくいわれるが、それなりに努力をしたつもりである。
今年8月15日はなにかと話題がでたが、「パ−ルハ−バ−」「ホタル」の映画をみた。「戦争を知らない人達へ」という番組をみていたら、出演者はほとんど私より若い方達であった。
今朝(8.25.)朝日新聞をみていたら加藤周一さんの「夕陽妄語」に渡辺一夫(1901-1975)の日記についての「敗戦日記抄」をみた。私よりちょっと年上の方々の考え方がわかって興味があった。
「毎日毎日が歴史である」が私の認識であるが、「コホ−ト」が違えばそれなりに考え方が違うと思うのである。
以前読んだ増田四郎「歴史する心」(創文社、昭42)にあった「歴史をふりかえってみると、古今東西、きわめて多くの歴史家であっても、その研究のきっかけなり、その関心の重点なり、その業績なりというものは、後世からみると、すべてこれ、その歴史家が生きていた時代の思想や諸情勢の反映でないものはないという気がする」「歴史的なものの考え方とは、ひと口にいえば個々人が現に置かれている位置、ひいては自分の属している団体や国家や民族の現に置かれて位置というものを、その時間的な経過と社会的な条件の中で、客観的に正しく理解してみたいという要求にささえられた考え方といえるでしょう」と書かれたことが記憶にある。
串良航空隊へは阿部源三郎軍医中尉(大阪大出身・戦後伊藤忠・産衛で活躍)と馬場仁軍医中尉(日大出身・MMKをじでいった)と三人で着任した。近くの鹿屋航空隊と違って飛行機のない練習航空隊で、若い兵の教育訓練・検診が主な仕事であった。
着任してみたら主計に隈丸次郎主計中尉(慶應出身でデビスカップに出たテニスの名手)がおり、そして軍医長は酒井堅軍医少佐(戦後鹿児島大解剖学教授になられた)で、綱島宗一軍医大尉(慶應昭16卒の先輩・現武蔵野病院長)もおられ何となく気安く仕事ができた。
今その当時の日記をみると昨日のように記憶が甦ってくる。(20010825)