新年ご挨拶

2000年2000年といっていたのはついこの間のような気持ちです

今年2003年の正月を迎えました

昨年末には救急車で運ばれとんだおさがわせの日々を送りましたが

どうにか新生naosukeで生まれかわって新年を迎えることができました

近く82歳の誕生日を迎えます

今年はスキ−もゴルフも休み 静かに 生活してゆこうと思っております

よろしく

追記

今年の新年挨拶は”元気がない”、”覇気がない”、と云われた。

一寸前まで入院していたのだからそう思われるのは無理はないと思うが、「静かにして」といわれて、静かにしていれば”覇気がない”と云われる。人生は難しいものだ。

今年の元旦に弘前駅へ行って”新聞各紙”を買い求めることをしなかったので、天下の大勢はわからない。テレビから枕元のラジオの世界に情報がうつったので、毎時トップに出るニュ−スは”寒さ””雪”にちなんだ話しが多かったようだ。

曰く”ドア−が凍結して開かなかった””パンタグラフに雪が着いてダイヤ乱れる””欠航””火事で全勝(笑点で)””遭難”そしてフェリ−の故障まで。

暮れの29日に歩きはじめた孫を見せるためか新車をためすためか3男の繁一家がはるばるやってきた。”あぶないよ”といっていた家内の”予感”がズバリあたって、タイヤチェ−ンだけでは高速の長い下りにハンドル操作だけではうまくゆかず、自損事故ですんだのは不幸中の幸いであったという話し我が家にもあった。

 

この写真をとったのが元旦の午前11時繁一家が快晴の道を帰っていった。

ところがそれからが大変だったのである。

まさか東京から悪い風邪をもってきたとは云わないが、私の鼻がぐずぐずいいだして、体温計で測ったら、37,38,39と上昇したのである。正月早々救急車でもあるまいし、と思いながらその覚悟をし用意をしたが、「救急車で入院させたら」というアドバイスはしりぞけ、もう救急車はけっこうですと、義姉から戴いた「合成ペニシン剤」がよく効いてこのHPをいれるまでなったが、今度は2,3日遅れで家内がという状態で、まさに「ダウン正月」でありました。

 一方アメリカはクリスマスが過ぎれば新年などどこへいったのやら。実戦そのものの軍備にはしっている。どうなることが。北鮮の核問題の行方と共にわからない事だらけである。

戴いた年賀状をみると、”E−mail”の記載が少し多くなったかなとの印象である。それでもHPを見いている方とない方との差は歴然で、生きるか死ぬかを送ってきた身にとっては「お変わりありませんか」などと書いてあると、妙に感じるものだ。もっとも1か月も前に書いているとすれば無理はない。

一番の傑作は、年賀状のかわりに”論語を英語でよむ”を戴いた辻達彦先生(かつて真珠湾へ向かっていた潜水艦の海軍軍医)からの ”祝生還”であった。(2003.1.7.)

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