今あらためて予防を

2003年5月1日、「健康増進法」が施行された。「栄養改善法」がかたちををかえての「健康増進法」であるようだが、知らない間に議会を通過していた。新聞・TV・ラジオでは「受動喫煙の防止を法的に義務づける」の話題だけが報道されていた。日本では「努めなければならない」だが同じ日海の向こうのアメリカのニュ−ヨ−クでは「たばこ喫煙禁止地区で喫煙した場合かなり高額の罰金がかせられる!!」となったという。たばこのみにはつらいことだろうけれど!!

SARSが話題である。今朝のEメ−ルに「学長・留学生係・保健管理センタ−」から「勧告」と「チェックリスト」が配信されていた。今のところ日本には症例の報告がないのは幸いだが、「エイズ」の第一例が神戸だったか報告されたときの「大騒ぎ」を思い出す。思い出すとのいい方のように、今はどんなこともジャ−ナリズムは大騒ぎするが、それが話題でなくなると報道はなくなる。報道がなくなるとわれわれはすぐそのことは忘れてしまう。「エイズ」の方がもっと大きな「問題」だと私は理解しているのだが。

今度の「イラク戦争」のことも「ゲ−ム」のように一般には忘れられてしまうだろう。だが肉親を失った人など一生忘れないだろう。ブッシュ大統領の航空母艦上でのスピ−チを聞いた。「日本」のことがでてきたが、「前大戦」のことを「原爆を投下したこと」を「アメリカ」なりに合理化していると受けとった。戦争のことを知らない人はどう思っているかは知らないが。

ここ何週間か昔の資料を整理し、HPに入れてきたのだが、昭和 29年に弘前へきてぶつかった「問題」は忘れられない。今読み返してそれを思う。

何が「問題」なのか。自分ではそれを指摘し、それを証明するために停年まで追究してきたつもりなのだけれど。

昭和36年11月20日、日本医師会館での「脳卒中の予防、治療リハビリテ−ションのシンポジウム」に発言の機会が与えられ「予防」について発表した。

脳卒中の予防について

 

最近、予防医学の5つのレベルと申しまして健康増進、特殊予防、早期発見即刻治療、それから後遺症防止、そしてリハビリテ−ションと、本日の問題を全部を含む意味に予防医学が考えられるようになっておりますけれど、私の受持ちの分野は、いわゆる治療医学に対しての狭い意味の予防についてお話しすることになると思います。

私の専門は公衆衛生学でございますので、その立場から考えますと、一体脳卒中についてどういう問題があるか、ということをまず最初に考えてみなければならないのであります。医学にはいろいろな分野がございまして、それぞれの掴み方があると思うのでありますけれども、もし脳卒中が国民死亡の第1位であるとか、あるいは数が多いとか、あるいは対象の患者が増加してきた、実は昨日も老年学会のとき尼子先生がごく平易な言葉で、いわゆるお客さんが増してきた、というお話しをされたわけでありますが、そういうことであるから問題があるというふうには私は考えないのであります。私たちは脳卒中についての死亡統計を分析いたしまして、結論として考えておりますのは、脳卒中については働き盛りの方の死亡を老年層にまで追いやりまして、働き盛りの者の生命を保護し、そうして生産を上げる、またその人達の死亡からくる種々の社会的な不健康状態を除くことが、現在、私は問題であるというふうに考えて、ここに公衆衛生的な問題の価値があると考えるのであります。

脳卒中予防に対する一考察

まず最初に、脳卒中について、その本態が十分わかっていないというのに、一体予防することができるかということを、疑問に思われる方が多いと思うのであります。けれども、私は現在の段階でも、たくさん予防の手がかりがある。そうしてわれわれがそれを生活の中に強力に取り入れることが必要である、こういうことを申しあげたいのであります。

先日公衆衛生学会の総会のときにニュ−ヨ−クの衛生局長が来られて、その特別講演の中でありました言葉ですけれど、例えば癌の場合でも現在の死亡率を半分にすることができる、そういう手があるという発言をされておったのですが、同じような意味においてやはり脳卒中にもそういう手をわれわれは考える必要がある、と思うわけであります。

5つのレベルのうち第3番目の問題といたしまして申し上げました脳卒中の危険のある方を早期発見したり、あるいは直ちに治療するということはもちろん大切なことでありますけれども、私はいろいろな所見から、それには一定の限界があるということを考えるわけであります。現在疾病観とか、健康観について、生態学的な考え方があるのであります。そのような考え方に立ちますと、同じ生活があるといたしますと、そこに生まれ育って行く人たちは同じ運命を辿るのではないかとということが考えられるのであります。そういうことで、積極的によい方の生活へ変化させていかなければならない、と思うわけであります。例えば血圧の場合にスクリ−ニング・ラインというのを1つ設けます。それによってふるい分けをする。でもし、そのようにふるい分けられた人たちだけを対象にいたしまして対策を立てたといたしましても、そのふるい分けされた方たちは、医学的にいってもちろん結果はいいと思うのでありますけれど、その集団に生まれ、あるいは育って行った人たちの運命というものは、同じ運命を辿ることが考えられるのであります。そうすると根本的な予防にはならないのではないか、という考え方を持つわけであります。

早期発見とか、即刻治療に一定の限界があるということはどういうことであるか、について申し上げますと、既にヒポクラテスも観察した結果としてヒポクラテス全集にその言葉が載っておりますし、私たちも統計的な分析から明らかにしたのですが、いわゆる脳卒中の場合に、発作があるときには、規則的な死亡秩序があるということでありまして、約半数の方々は大体1週間ないし10日間で死亡して行くのであります。医学に対する一般の方々の考え方があると思うのですが、そのような考え方で、発作が起こってからいわゆる治療医学の恩恵を受けたといたしましても、どうしてもそれに限界があるということで、その死亡秩序ということから考えるわけであります。

脳卒中発作の直接的要因

第2の問題として、脳卒中の発作を起こした人は、その人がどういう状態の場合に起こったかという直接的な要因を考えるわけであります。秋田県、青森県の農村におきまして、その発作を起こした時の状態を一番知っている人に聞き取り調査をいたしまして、数百例につきまして検討いたしました。いわゆる脳卒中の発作の直接的な要因というものが実に各種各様であることがわかりました。冬多いという季節変動はあると思うのですが、特にその中に従来からいわれているように、例えば便所などで力むとか、いろいろな要因がいわれておりますが、そういうような具体的な要因を見い出すことが、むずかしような記録がございます。実際のデ−タ−で申し上げますと、先程福田教授のお話の中にありましたような、朝起きたときに発作が気付いたというのが10%程度、年令的に少し相違がある、というお話でありましたが、そいうものごございますし、あるいは入浴中であるとか、朝起きたときとか、食事をしておるとか、炊事をして立っておるときとか、あるいは散歩をしているとか、あるいは雑談をしてとき、お酒を飲んでおるとき、用便中というふうに、一体生活の中の何を注意をして行ったら発作が予防できるかということに、限界を感ずるわけであります。従って問題は脳卒中の発作を起こさないでおくような状態は何か、ということを考えたいのであります。既に生命保険の統計で明らかにされておりますのですが、血圧が高血圧状態であると、その生命予後が、不良である、ということが考えられております。われわれも東北地方の一般の住民につきまして検討しますと、こちらの、秋田県農村における血圧とその生命予後Person yearsによる観察という表がございます。これでわかるのでありますが血圧が高血圧状態であると脳卒中についての生命予後が悪い、脳卒中の死亡と血圧という関係があるというのが一般のフィ−ルドにおいても明らかにされたと思うわけであります。ただこの表には出ておりませんけれども、いま計算しておるのですが、同じ血圧のレベルでも、秋田県の農村の方が青森県の農村よりもその生命予後が悪いようでありまして、この点は興味ある問題として検討されなければならないと考えております。しかしながら脳卒中の基礎にある条件といたしましては、どうしても血圧が高血圧状態にあるということの妥当性を考えるし、事実と思うのであります。

高血圧に対する理解度

ところで今申し上げました高血圧についてどのような理解を持っておるか、ということであります。即ち第1に高血圧は単一遺伝子による遺伝的な疾患である。高血圧症という独立した疾患と見る見方であります。もう1つは遺伝学的にも血圧は身長や知能と同じく多因子によるものであって、その分布は連続分布をして、血圧を高血圧とか、あるいは正常血圧とか、質的に異なった集団に分けることができないという見方であります。言葉を簡単にしてして言うならば本態性高血圧を本態性高血圧症とみるか、本態性高血圧状態とみるに分かれると思うのであります。私たちは、特に東北地方についてでありますが、多くの住民の集団的な血圧測定成績から、血圧は連続分布であって、血圧値のみからは、高血圧症を質的に分離することはできないという見解を持つに至りました。われわれはそれぞれ多要因を持っておる個人の血圧測定値を問題にしなければならないところから、血圧の評価の方法といたしまして、集団評価と個人評価の考え方を主張しておるわけでありますけれども、このことについては十分時間をかけてお話しする時間がないわけであります。

脳卒中予防の手がかり

しからば脳卒中の予防について、一体どのような手がかりがあるかということを考えてみたいと思います。従来予防の方策という場合には、特定のケ−スを研究いたしまして、どんな生活をしたら長生きできるかという成果が発表されておると思うのであります。私たちは最近の疫学的な考え方を取り入れて、人間の集団におけるケ−スの分布消長を研究して、そこにヒントを求めようとする研究方法によったのであります。疫学的な研究方法は従来は急性伝染病に応用されまして、多くの成果を得たわけであります。慢性疾患にこれをあてはめる場合には、かなり長期にわたる十分整理された資料について検討しなければいけないと思うわけであります。そういう点から考えますと日本の脳卒中の問題の解決については、やはり一番基礎的な条件としては、資料の整備ということが今からはっきり、ちゃんとやられて行かなければならないと思います。地球上に住む多くの人間の集団が、それぞれ異なった死亡の型をもっているというようなこと、特に循環器系の疾患に限りましても、日本と欧米との国際的な差というのは非常に大きなヒントであると思います。また日本人の住民についての問題、ハワイとかロサアンゼルスとかいう所の所見が最近発表されておりますけれども、そういう所見であるとか、あるいは日本の国内におきましても地域差があるということが大きなヒントであると思うわけであります。私たちは特に東北地方で若い働き盛りのときからの脳卒中の死亡率が高いことを特に問題にしておるわけであります。

更に大きなヒントとしまして時代差ということを考えてみたわけであります。既に渡辺先生がもう10年も前に言われておることでありますけれども、戦時中に脳卒中の死亡が少なくなりまして、血圧も低下したというわけであります。でこれが大切な予防のヒントだということを、渡辺先生が声を大きくして言われたことで、その当時からもっと研究しておればよかったと思うのであります。私たちは時代差についての分析の方法として、コホ−ト分析というのを行ったわけであります。コホ−ト分析というものは同一出生年次群で比較していくわけであります。この図の一方の目盛りは対数目盛であります。それぞれの生まれた年代の人が、大正、昭和とそれぞれどのような死亡率をとっていったかという経過を示しておるわけであります。戦前の所を見ますと、各コホ−トが同じ秩序で死亡しておるわけであります。ところが戦時中に、その人たちのグル−プが40才、50才でありますと、特にその影響を強く受けておるわけでありまして、年令は増すが、死亡のレベルの上昇はとまり、少し低下しておるくらいであります。そうして戦後下がったレベルから再び戦争前と同じ傾向で上昇しておるということがわかったのであります。もう何年かたちますともう少しはっきり分析できると思うのでありますが、少なくとも当時の4,50代の人たちというものは約5年の死亡の遅れを示しておるわけになるわけであります。このような結果は、生活上の変化があったからと思うのですけれども、この所見は脳卒中の予防の可能性のあることを示しておる非常に重要な所見であると思います。更にどのような年令層に対策を立てるべきかということにも一つのヒントを与えるわけでありまして、予防対策の重点的に行なうべき年令層を考えさせる結果とも思うわけであります。その年代だけが特に影響を受けておるという点からそう思うわけであります。

それからもう1つ戦前、あるいは戦後に一定の死亡秩序があるということは、結局その間に生活の内容があまり変化しないわけでありますから、ここに積極的な対策を立てませんと、私たちも大体過去と同じ運命を辿るということを教えておる事実だと思うわけであります。

そのほか死亡率の特徴についても、季節変動というようなこともありますし、あるいは性差、特に男の方の死亡率が戦時中よけいに影響を受けておるというようなことがありますし、そういうようなことも大切なヒントになると思うのであります。

以上述べました死亡率の差について、血圧と関係があり、特に地域の人口集団の血圧と相関関係があるのではないかということが大体認められれておるわけであります。

それから、現在、死亡率の検討というのは、地域的な人口集団についてしかないのでありまが、更にこれを機能的な人口の集団における血圧ということを比較して行くということによって、種々なヒントが与えられると思うわけであります。即ちこのことは生活諸条件と死亡率ないし血圧との検討ということであります。このようなことによって解決の糸口が与えられるわけであります。そのような意味から、血圧の集団評価とか、個人評価ということを言うわけであります。血圧の集団評価によってその人たちが属する社会集団における共通な問題を明らかにし、個人評価によってその集団の中にあってもより個人的な要因が明らかにされるということが期待されるわけであります。

公衆衛生学的な立場よりの予防対策

私たちは東北地方の住民の脳卒中乃至高血圧の予防についての研究から一応現在公衆衛生学的にどういう方策があるかということを考えてみたわけであります。その結論だけを申しあげますと、東北地方におきましては、冬は暖かく暮らす住生活が問題じゃないか、住生活を改善したり、それから食生活の中で食塩の過剰摂取が、私はどうしても問題であると考えるわけであります。また青森県などの成績から、リンゴをたくさん食べるということがどうも脳卒中ないし高血圧の予防に効果があるのではないかということを推測させる事実を認めておるわけであります。日本全体を眺めてみますと、日本においては米を味噌汁と漬け物で腹一杯食べるという食生活の型が一番基本的に問題になるのではないかと考えるわけであります。特に食生活の中で、食塩がなぜ入るようになったきたかということにも最も反省をする必要があるのではないかと考えておるわけであります。しかしこれはわれわれの問題の掴み方、そうしてそれに対する対策ということから考える上に立って大きな結論でありますけれども、それぞれの人口集団について前に述べました考え方に従って、その予防の決め手を考えて行くことが必要だと思うわけであります。

現在脳卒中の予防について考えなければならないということは、われわれ学者はいろいろな方面から意見を集めまして、予防のための生活のヒントを正しく国民に伝える必要があると思うわけであります。なぜこういうことを申し上げるかと申しますと、例えば東北地方に住んでおりますと、いろいろな考え方がごっちゃにあるわけでありまして、脳卒中は遺伝であるという考え方が一般的であります。脳卒中のことを向こうでは”あたり”と一言で片づけておるわけでありまして、遺伝のことを”まき”と申しまして、”あたりまき”ということでもって、一般には運命的に考えられておるわけであります。酒だけが悪いと思っている人が非常に多い。そうして更に”どぶろく”が悪い、という説も出たわけであります。あるいは重労働が悪い、その次ぎの食塩が悪いという話がでました。それから白米が悪い、あるいは海藻がいい、場合によっては水質が悪い、土壌が悪い、また更に食塩は無関係であるというお話も出ました。更に私たちは食塩が悪いという、こういうわけであります。冬寒い生活が問題だという、あるいはリンゴがいいというようないろいろ言うわけであります。

こういうことが一般の人たちにどのよに響いているかということを問題にしたいわけであります。従って一体われわれはどいうような生活をしたら、脳卒中あるいは高血圧の発生を予防できるかという意見をどうしても集め検討する必要があるわけであります。そしてその結論、現在考えられる最良い生活のし方を、生活の中に当てはめて行く必要があると思うのであります。もしこういうことをいたしませんと、初めに示したように、コホ−ト分析の結果からも明らかでありますけれども、われわれは過去と同じ運命を辿って行くと考えられるわけであります。

私たちは特に働き盛りの者の死亡ということを考えておるわけでありますが、全国で約3万人の方が60才前の働き盛りのときに脳卒中で毎年死亡しておるのであります。その中で私はとくに東北地方に問題が大きいと思うのでありますが、東北地方の問題を考えてみますと、大部分の人達が血圧を測ったこともない、それで自分は元気であると思っておる人たちであります。そうして生活しておるときに、突如として脳卒中の発作を起こして、そうして半数の人たちは規則的に、一定の死亡秩序によって死亡しておる。幸いに生命をとりとめた人達のその後の経過につきましては、これはある程度地区差といいますか、社会的な要因が左右しておるような成績をみておりますが、そういうようなことから、現在の段階で考えますと、どうしても血圧だけでも測定される機会を与える必要がある。むしろ血圧測定というものは現在は医者が持っておるわけでありますけれど、それを脈博とか、あるいは体温というようなことと同じように一般の人たちに解放するという言葉を使ったのでありますが、そういうことに必要性を感ずるわけであります。

で脳卒中とか、高血圧の予防について、現在の段階で最も良いと考えておることを、正しく国民に伝える努力をいたしまして、そうして生活をよりよい方向に進めて行く努力が必要である、とこういうふうに思うわけであります。(拍手)

渡辺理事長:どうもありがとうございました。ご質問はあとでいただくといたしまして、非常に秩序立ったお話しを伺いましてありがとうございました。

渡辺定先生には親と子位年令が違うにも関わらず可愛がって戴いた記憶がある。「寿命学会」をつくられてその学会の主催の「シンポジウム」であった。詳細は「日本医師会報、48(2), 69-112, 昭37)に記録されている。演者は福田篤郎先生の「脳卒中の半身不随者実態調査」、そして私、秋山房雄先生の「高血圧の健康管理」、相沢豊三先生の「脳卒中の最近の薬物療法」、ミハエル・ダッショウ先生の「米国に於ける脳卒中の半身不随のリハビリテ−ション」であった。まだ日本に「リハ・・・」などという言葉がなかったころで、アメリカから講師を招待した。これがきっかけで「リハ・・学会」が誕生した記憶がある。大島良雄先生が「鹿教温泉半身不随の予防と治療」、藤井静雄先生の「脳卒中の半身不随の治療の経験」を追加発言されている。

こんな時に私は「予防」を喋ったのだ。入局した教室が「予防医学教室」であったのはこじつけみたいな気もするが、すでに「予防」の原理が判明したと考えた「CO中毒」からまったくわけのわからない「あたり」にぶつかったからだ。

予防医学の5つのレベルがいわれ始めたころであった。ハ−バ−ド大のゴルドン先生が日本にこられて「医学的生態学としての疫学観の発展」を講演され、モ−リスの「Uses of epidemiology」を読んだところであった。「スクリ−ニング」が公衆衛生で話題になってきた時だった。日本公衆衛生学雑誌(昭32)に「わが国における脳卒中乃至高血圧の公衆衛生学的問題点」を指摘したあとであった。「問題」を指摘はしたがいろいろの説が入り乱れてまだ手さぐりの時代であった記憶である。

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