「スクリ−ニング」についての記憶

 

 文芸春秋(51巻13号)に共同通信社長福島慎太郎氏の書いた「ウエブスタ−」にあった「スクリ−ニング」についてのエピソ−ドは忘れられない。

 「昭和20年10月だったと思う。当時外務省につとめていた私は田尻政務局長に呼ばれた。曰く幣原喜重郎氏に組閣の大命降下があった。外務省としては大先輩の総理大臣ができるわけであるから秘書官をさしだす」で始まる文章にそのエピソ−ドが書かれていた。

 「まかりでて私が秘書官でございます。何か御用は、と伺いを立てたら、どこかで”ウエブスタ−”を見つけて欲しいとおっしゃる」

 「年が変わって二十一年一月四日、GHQから有名な追放令の指令が総理の手元にとどいた。好ましからざる人物を公職から追放するという最高司令官の命令である」

 「マクア−サ−の署名のある文書を片手に幣原さんが秘書官に入ってこられた。私にこの文書を示されて、好ましからざる人物をスクリ−ンするためにスクリ−ニング・コミテイ−を設置せよとあるが、スクリ−ンとはどういうことかと云われるから、”ふるい”にかけてふるうのでしょうと答えると、ニャリと笑って、スクリ−ンという言葉は、ウエブスタ−によれば、衝立を立てるという意味である。好ましからざる人物をマ−クすればいいのであって、ふるいにかけて落とすことではないと云われた」

 「あわててウエブスタ−にあたってみたらまさにその通り、長い説明のあと最後に”まれに、俗語として、ふるいにかけるという意味に使うこともある”と書いてあるだけである。しかし司令部は明らかにふるいにかけて追放せよというつもりでしょうと申しあげたら、またニヤリとされて、”そうだと思う。しかしこれだけの大切な公用文に使う言葉ではない。アメリカ人は無学だね”といって総理室に帰って行かれた」と。

 この追放令で私のような海軍軍医大尉であった者も追放されたのである。

「昭和22年11月28日 官報号外ヲ以テ旧海軍正規将校デアルトイフ理由デ 仮指定ヲ受ク」

「昭和23年3月22日 官報号外ヲ以テ仮指定に対スル異議申立ガ認めメレタ(16年12月以降委託学生ニ採用サレタ者ナル事由ニヨッテ)」と履歴書にある。

 だから上記の文章はとくに記憶にあるのである。

 戦後、公衆衛生方面での有力な方法論として「スクリ−ニング」が云われるようになった。亡くなった勝沼晴雄先生らが論文で紹介された記憶である。

 いわゆる「ふるい分け検診」である。一定の「ライン」をおいて「ふるい」をかけ、「疾病」の早期発見・即刻治療への橋渡しをするという有用な方法であった。

 「結核検診」では成果をあげたこの方法論を新たに社会問題になってきた高血圧などの循環器系疾患への応用を考える学者が多かった。多かったという過去型ではなく現在もであるが。 ところが私の疫学的研究による「血圧論」では一定のラインを引いて区分することはできない。

 このことについては「高血圧者ふるい分け検診についての問題点」という論文を日本公衆衛生雑誌(9(7), 287-291, 昭37)に書いた。

 結核検診のときは”ツベルクリン”による皮内反応の発赤の大きさの分布によって10ミリ以上は”感染者”、4ミリ以下は非特異反応での”未感染者”、その間の5-9ミリは”どちらともつかずの”擬陽性”と考えることができるという検診には有用な方法であった。

 ところが人口集団の血圧を自分で実際に測定した結果についてその分布をみると、集団によって異なるものの、その分布は連続していて、150ミリ水銀柱といった”ライン”を引いて”高血圧者”と”正常血圧者”を”区分することはできないという結果であって、結核検診とは基本的に異なるものであると考える立場であった。

 論文の最後に「今ここでのべられたことは、過去から現在にまでつくりあげた疾病観乃至健康観の将来への発展、橋わたしとしての思想に関する重要な問題と思われ、現在問題となっているCommunity Diagnosisや健康の指標の概念に通じるものである」とも書いた。

 これも昭和37年当時を思い出す私にとっては記憶にある記載である。

 この考え方は今も重要な考え方と信じる故、あえて記憶を再録した。(20030620)

(弘前市医師会報,292号,38巻6号,61-62,平成15.12.15)

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