夏になると思い出す あの日のことを・・・
人それぞれ思い出があることだろう。 私には昭和17年夏、弓の合宿で赤倉山荘に行ったことを思い出す。その時の写真のスナップは前に入れた。その時赤倉合宿でつくった”数え歌”のことが思い出される。たしか皆でつくったはずだ、どこにあったかな。身辺整理で廃棄してしまったかな、と頭の片隅にあって探し物をしていた。
いつも慶應の医学部の弓道部の成績を知らせてくれる”池田さん”に尋ねてみたら返事があった。
”東医体が終わり、「赤倉山荘合宿の数え歌」を部員で探してみたのですが、 Der Bogen vol.25には載っていないようで、また、四矢会誌と大鳥蘭三郎先生記念文集は部倉庫に保存されておらず、見つけることができませんでした。ご依頼に答えることができず、申し訳ありませんでした ”と。
”お手数かけました。残念です・・・
とここまで書いて もう一度 手元の資料を繰り返しみたら
”赤倉合宿の数え歌”のコピ−(大鳥蘭三郎教授定年御退官記念特集:四矢会誌第7号、昭48、)がでてきました。 いずれHPに入れます ”と返事を送った。その記録である。
赤倉合宿の数え歌 (22回生 佐々木直亮)
”今からざっと30年前、昭和17年に赤倉山荘で、弓術部の合宿が行われた。その時皆でつくった数え歌を紹介しよう、
大東亜戦争がはじまって1年、多くの先輩を戦場に送ったが、あの山荘で、ゆかいな日々を送った当時のことが今もまぶたにうかぶようだ。又現在各方面で活躍されている方々の学生時代の様子が思い出されてなつかしい。
1の1 人も知ったる医学部の弓の部員を皆あげよ
2 夫婦仲良い久保中尉 今じゃ北支でさびしかろ(久保義信)
3 佐々木の直ちゃん良い男 体操するのが玉にきず(佐々木直亮)
4 吉岡ハメちゃん背が高い ピアノひかせりゃ 天下一(吉岡守正)
5 飯田軍医はお人よし ”イ”と”エ”とがわけられぬ(飯田九郎)
6 むっつりすけ平の板谷さん 女学生が気にかかる(小林録郎)
7 何にもいわずに永井さん そっと出てゆき しる粉くい(永井文彦)
8 山崎おっさん気が強い 二段三段チョイトまかす(山崎清博)
9 今度入った河合さん 口を四角にばっくれる(河合常雄)
10 十でとうとうとりしまり 蘭ちゃん知らなきゃもぐりだよ(大鳥蘭三郎)
2の1 ピンポン上手な渡辺さん メッチェン相手じゃ すぐまける(渡辺陽之輔)
2 フンとすました柏木君 金的おとして涼しい顔(柏木武)
3 さぼの大将山脇さん スケ−ト・ラグビ−得意です(山脇卓壮)
4 横浜軟派の宇治康ちゃん お酒のませりゃ 硬くなる(宇治康明)
5 猪狩の明ちゃん勉強家 ソンナノハモウキライ(井上明照)
6 むやみやたらと湯本さん 大風呂しきをひろげてる(湯本誠)
7 仲尾の剛ちゃんお洒落好き 眼鏡ばかり気にしてる(仲尾剛)
8 はずかしがりやの牧文ちゃん 赤い顔して 舌ぺろり(牧文夫)
9 これは真面目な大久保君 帳附けするときゃ こわい顔(大久保一郎)
10 栃原ぶんちゃん力もち どんな弓でもぐいとひく(栃原慶一)
3の1 五十嵐通ちゃん大食(おおぐらい) ひるの弁当みせたいな(五十嵐通雄)
2 西尾の友さん精神科 今も変わらぬ三尻よ(西尾友三郎)
3 三年生の杉本さん あれでなかなか はにかみや(野町昭三郎)
4 よくも太った前謙さん 赤倉山荘くいつぶす(前田謙次)
5 市川達ちゃん顔出せば 漫画のドナルド逃げて行く(市川達郎)
6 昔ながらの小川さん いつまでたっても 背がのびぬ(小川泰正)
7 なかなかシャンな片桐さんエステルもどきで すましてる(片桐鎮夫)
8 やっとでてきた野間詩人 紫文学 ちょとひねる(野間清邦)
9 今度もでてきた仁王さん 一年分をためてひく(松尾武夫)
10 豊島の先生大岩さん メッチェン相手にパイにぎり(大岩範一)
4の1 委託学生林さん 今日ははなはだ愉快です(林司郎)
2 にやっと笑った磯前さん 金歯マンマが気にかかる(磯前栄一)
3 埼玉ル−トの柳さん 弓をひくときゃ口をまげ(柳克己)
4 よっぽどすきな松尾さん 日本一の槍をのみ(松尾正雄)
5 今じゃ中支の丹羽軍医 馬から落ちて”イタイワヨ−”(夏目長弐)
6 ろくなニュ−スは持ち込まぬ デマの本家の田宮さん(田宮貞仁)
7 中尾中尉は背がひくい 潜水艦が広すぎる(中尾仁一)
8 やつでのような手でにぎり 押し手がきかぬとねじまわす(林義郎)
9 子供相手の中鉢ちゃん 弓も謡も まるさぼり(中鉢不二郎)
10 トンデモないのができちゃった あとは野となれ 山となれ
(昭17.7.30作)
夏になると思い出す あの日のことを・・・・
昔懐かしい名前をいれていると 60年も前のことを思い出す。
あの時 ああだったと。その後各人それぞれの人生を歩んだことだろう。
でも今思うと、殆どの方が 戦争で また病気で亡くなっている。
まもなく8月15日がやってくる。冥福を祈りたい。
同じ文集に”妙高登山−−大鳥先生に捧げる歌”があった。「大鳥蘭三郎先生のこと」を前に書いたが、全文が記録されていた。
「妙高山を夜陰に乗じて サイ 大張切りして登りだす
観光(ホテル)まで 堂々登って サイ 前山にらんで大いばり」
「幸か不幸か月が沈んで サイ 前山登るに一苦労」
「大谷ヒュッテで前半に追着きや サイ 花火打ち上げ上機嫌」
「よせばよいのに慾を出せば サイ 枝につかまり 四つんばい」
「妙高山頂に大汗かいてつけば サイ 涼しい顔して 大統領」
「妙高山に登ってみたが サイ 下りを思えば足ふるえ
大谷ヒュッテに下りる時は サイ 手とり足とり 綱をつけて
大谷ヒュッテで水のんで息いれて サイ 杖を先だて すべりだす」
「観光ホテルがやっとみれば サイ ヘルツはおどって ねむりだす」
「先生行こうと肩をたたけば サイ ウンナンダイ と目をさまして バックレル」
「もうこれまで下れば本望じゃ 自動車やとって帰荘する」
(さてそれからが大変なこと サイ あたりちらして コレ 松尾 コレ 松尾(武夫))
(昭17.7.26.作)
合宿中に、体が不自由であった大鳥蘭三郎先生を、皆が担いで”妙高山”へ登った思い出の歌である。
なにもかも昔は懐かしい。(2003.8.10.)