私の散歩道

 

 青森県長寿社会振興財団というのがあって、「あすなろ倶楽部」という小冊子を三カ月に一回出している。その中で今「病は世につれ 世は病につれ」という健康随想を連載していて、来年まで書くことになっている。県下に数千部は配られているそうだが、ほとんどの方はご存知ないだろう。

 その雑誌で、「私の散歩道」ということで取材を受けたことがある。

 裏表紙に写真入りで県下のそれなりの有名人の散歩道の写真と短文の取材記事が毎回出ているものだが、先月号には青森県歯科医師会長の清藤勇也さん・談というのが載っていた。尾上町の自宅の立派な「春湖庭」と先生の写真と、「毎朝この庭を散歩しながら木々と語り合います」とあった。

 私の場合(21号)は、「城西大橋」で岩木山をバックという写真であった。私がいつも歩く道とは違うのだが、新しい弘前の、カメラ写りのよい所と考えてその場所で撮ってもらった。記事の中に「弘前へきて二十三年、ここは、快適な暮らしができる街です」とあったが、四十三年の誤りである。

 いつも歩く道は数年前までは、「衛生の旅 Part5」で「一日一考」を書いた頃だが、城南二丁目の自宅から久渡寺方面への「散歩道」であった。岩木山が見え、往きはゆるやかな登り道、帰りは下りで、土淵川上流の川沿いの車の通らない快適なサイクリング道である。夏のゴルフ、冬のスキ−を楽しむ為に、足腰は鍛えておかなくてはというのが動機だが、「夏もスパイク 冬もスパイク」という文想の浮かんだ道でもある。

 この頃は家を出てから前とは逆コ−スである。松木明知教授の家の前、聖愛弘前学院のうしろから、みなみ幼稚園、そして私の名ずけた「スズラン通り」(今充名誉教授の自宅前には春先にスズランが咲く)をすぎ、大学の後ろに出る。ここで沢山本をかかえた品川信良名誉教授によく会うことがある。

 私の行き先も大学の図書館である。家でとっていない新聞を見るためである。だから近頃ではほとんどの新聞に目を通していることになる。医学部や医師会や知人の方々の記事が出ていないか、新聞各紙がどのような取り扱いをしているか、英字新聞ではどうか等等。そして分からない、特に新しい言葉が出てくると、その語源はもともとどうなのかを調べてみる。今年の私のテ−マの「言葉・文字そしてその意味」にとらわれていて、「一日一解」で頭の体操をしている。

 時に生協で買い物をし、時に食堂による。

 今日家内が上京していて、いつものように朝のジュ−スを飲んで出てきただけだったので、「ブランチ」よろしく食堂が十一時に開くのをまってコ−ヒ−付き580円の洋定食を食べた。

 ふと30年前在外研究でアメリカ・ミネソタ大学に行っていた時のことを思い出した。

 大学には職員と学生の為に食堂があったが、私は学生食堂の方を選んだ。安いし気兼ねがなかったから。その頃でも「カフェテリヤ」方式で、日頃自炊していたので栄養上足りないものを選んだ記憶がある。トレイを持ち上げてからどこに座るか。私は意識的に女の子一人の席の前を選んだ。「may I・・・」と話しかける。大抵の場合は「OK」であった。これで会話の練習ができる。その会話の中で今でも記憶にあるのは「Are you .. fresh man?」と云われたことである。留学当時四十四・五歳であったのだが、「新入生」と間違われた。バ−に飲みに入っても年がいくつか「ID Card」を見せろと云われたことがある。日本人は「若く」みられるのかと思った。

 そして今弘前大学の若い人たちをみていると、ミニスカ−トあり、こちらの年を忘れてしまう気分である。

 食堂に教官らしい人が連れだって入ってきた。そして一斉に「タバコ」をとりだした。

 日本は、そして日本の大学はタバコ飲みにとっては「天国」ではないかと思った。 (9-12-1)

          (弘前市医師会報,256,62-63,平成9.12.15.)    

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