日本人と高血圧

 食塩と高血圧,研究の歴史を振り返る

はじめに

 

 昭和61年に弘前大学医学部を定年で退官したあと、それまでの「東北地方住民の脳卒中乃至高血圧の予防に関する研究」をまとめる意味で、「りんごと健康」「食塩と健康」を第一出版から出版した。

 「血圧を測定するようになると高血圧が認識され、循環器疾患のうち欧米では心臓疾患と、日本では脳血管疾患との関連が考えられるようになった」

 「日本の、とりわけ東北地方では若い人から脳血管疾患が多発し高血圧状態にあること、また国際的にみてもあまりにも多量の食塩を摂取していることを示した資料は、改めて食塩多量摂取の疾病論的意義を考えさせることになった」

 「一方、数千年来食塩のない文化の中で生活している人々が元気で、高血圧がないとか、塩類のバランスがとれているという科学的実態調査の結果が明らかにされた」

「ここに改めて、食塩と健康とのつながりについて考え直す時代が来たと思うのだが、いかがであろうか」と「食塩と健康」のあとがきに書いた。

 

日本人の高血圧

 

 日本人の血圧の状況は欧米にはほとんど知られていなかったと思われる。

 英文としては橋本寛敏先生の報告(Ann.Int.Med.,7:615-624,1933.)があったが、それも東京築地の「チャリテイ外来」の資料であったようで、「日本人の血圧は比較的低い」と考えられていたと思われるふしがある。

 「日本の高血圧−疫学の成果と展望」(日本保険医学会誌,79:59-92,1981.)で述べたように、日本人の血圧は生命保険事業にともなう資料によって認識されていた。病院や診療所での患者の血圧資料ではなく、一般に生活している人々の血圧状況が明らかになるのは昭和30年前後から始まった疫学調査の結果が報告されるようになってからであった。とくに昭和29年以後高橋英次先生らと行った日本のとくに東北地方住民についての血圧実態調査の結果の報告(Human Biology,29:139-166,1957.)、またわが国で刊行されることになった英文誌の報告(Jpn.Heart J.,3:313-324.1962.)は、欧米の研究者には注目されたようであった。例えばガイトン(A.C.Guyton)らの高血圧についての成書(Arterial Pressure and Hypertesion,p464,1980.)にも「過剰の食塩摂取と高血圧出現」との関連について「ほとんど反駁できない(irrefutable)証拠」とわれわれの成績を引用していることからも分かる。

 わが国において昭和のはじめに始まった「脳溢血」についての研究も欧米には知られず、日本の脳血管疾患には脳出血が多いという報告が欧米の学者によって批判され、それが冲中重雄先生らの「日本人の脳卒中の特殊性に関する研究」になったことは、「日循協30年前夜の人々」(日循協誌,30:141-147,1995.)で述べた。

 また臨床科学(32:240-246,1996.)の「医療今昔物語」に「高血圧の学説の変遷」について書いたが、「高血圧の定義の変遷をみると、疫学的研究の成果が理解されるようになったのではないか」と述べた。

 「疫学的」とは基本的に一人の患者あるいはその人の部分に目が向けられるのではなく、人々の研究からはじまるということであるが、「衛生学的成因研究」(近藤正二)から「疫学的研究」というようになったかについては「疫学事始」(第37回社会医学研究会,1996.7.)で述べた。

 

食塩との関連

 

 1947年からDawberらによって、一般住民を対象として動脈硬化性高血圧性心疾患に焦点をあてた計画的な縦断的疫学研究「The Framingham Study」が始まっているが、狭心症、心筋梗塞の発症を「リスク」と考え、調査開始時の諸所見についてその後の発症の確率を計算し、「危険因子」が指摘されるようになった。しかしそのなかに「食塩」はなかった。24時間尿の食塩排泄量は対象者1日1人当り約10グラムで、それと血圧とは関連がなかったと報告され、「食塩説」には否定的であった。

 またKeysらの「Seven Countries Study」の研究でも「脂肪」は指摘されたが、「食塩」の指摘はなかった。

 昭和34年の日本医学会総会で福田篤郎先生が発表した内容は、翌日の朝日新聞には「高血圧と塩は無関係」と報道された。先生は先に秋田県農民では高血圧者の頻度が高いことを報告し、293人の尿中クロ−ル排泄量から食塩摂取を1日平均26.3グラムと推定した方ではあるが、先生の意見は「生理学的」観点からか、「食塩過剰摂取に高血圧症に対して疾病論的意義を認めない」ことであった。私は「疫学的」立場から「脳卒中頻度の地方差と食習慣:食塩過剰摂取説の批判(福田)の批判」(日本医事新報,1955:10-12,1961.)を述べたこともあった。

 1965年から66年にかけてミネソタ大学の客員教授として在外研究の機会にめぐまれたが、「Global Epidemiology」「地球疫学的」の立場から「食塩と高血圧」との関連について檢討することができた。その檢討は「人口集団において加齢にともなう血圧水準と血圧分布を各種要因との関連で考える」という私の「血圧論」の立場からであった。当時は横断的な資料だけしかなかったが、日常摂取されている食塩(場合によってはNa/K比)と血圧水準と血圧分布には関連があるのではないかとの「作業仮説」をセミナ−で述べることができた。またそのことが1970年ロンドンで開催された第6回世界心臓会議の「Causative Factor in Hypertension」の「Round Table Session」での私の発表「Salt Factor」になり、またその後国際的に展開されるようになった「Intersalt study」「CARDIAC study」などによって、「食塩と高血圧」との関連についての「疫学的傍証」の成果を得ることができたものだと思っている。

 発表の当日テレビのインタ−ビュ−をうけたが、前前から頭にあった「Civilization is Saltization」を述べたことを思い出す。 その後私の「テ−マ」は「血圧論から食塩文化論へ」になった。

 

関連あること

 

 「疫学的研究」に必要なことは、地域社会でどのような「健康問題」があるかの認識から始まると考えるが、われわれの場合は東北地方住民に若い時から多発している脳卒中乃至高血圧を「予防」することであった。

 それは「記述疫学」の、「コホ−ト分析」も含めての「死亡率」の檢討から始まったが、「横断的疫学」から「縦断的疫学」へ研究が展開され、30年経過した。                      

 その際人間の生体情報の一つである「血圧」については、まず測定方法の基準化(弘前医学,11:704,1960.)から始まった。最近では「自動血圧計覚書」(日本医事新報,3542:64-65,1992.)に書いたように「純客観的血圧測定法」がよいと考えている。

 「疫学的」観点からいえば、「多要因疾病発生論」であり、はじめは室内温度環境との関連を檢討し、「住生活」に予防の手がかりがあることを指摘したこともあった。

 食生活との関連も種々檢討したが、食塩についていえば、ようやく入手できた「炎光分析器」をわれわれが一般住民の尿中「Na,K」測定に応用できたことをあげなくてはならない。その成績を速報(医学と生物学,39:182-187,1956.)したが、その結果「食塩摂取」「りんご」また「Na/K比」と血圧との関連を考えるきっかけになった。

 科学技術庁資源調査会による「食生活の流通体系の近代化に関する勧告」(昭和40年)に参加したが、いわゆる「コ−ルド・チェ−ン」の勧告の中心は日本人の食生活の「低塩化」への「介入」であった。 

 1977年アメリカでは「食事改善目標」を示すが、われわれの研究も引用しており、「1日約5グラムの食塩」とした。

 そして「高血圧に食塩が悪いのは今は常識である」(NHKなど)といわれる時代になった。

 また「加齢と血圧」「ヒト高血圧発症のリスク因子」「血圧の個人特性」への論理的根拠が「疫学的研究」によって与えらえてきたと考えた。

 日本人の脳血管疾患の死亡率や血圧状況をコホ−ト分析した結果を学会に報告したが、「病は世につれ、世は病につれ」である。

 (臨床高血圧の100年:過去からみえてくる未来:治療学別,31(S3),40-41,1997)

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