成人病から生活習慣病へ
もう年を越してしまったことだが、昨九年二月の産経新聞正論欄に「今年は生活習慣病元年」という記事が出ていた。
筆者は大谷藤郎先生であった。
この表題が先生の書かれたものか、新聞社の方でつけたものか、そのような題で書くよう依頼されたものか、先生に確かめていないので分からないが、とにかくそのような表題の記事が出ていた。
そのせいかどうか分からないが、私が関係している「あすなろ尚学院」の講義依頼も昨年度から「生活習慣病とその対策」になった。それまでは「成人病とその対策」であった。
以前「成人病とその対策」の講義をするときの始めにきまって言う話があった。
「私が教授になったばかりの昭和三十年のはじめの頃、このような題が与えられたら喜び勇んで来ましたものの、今はもうすっかり様子がかわってしまって。おまけに聴講生の皆さんは四十歳から六十歳の厚生省が云った成人病の範囲をもうとっくに通りすぎて、その間にこぼれ落ちないで、これまで元気に過ごしてきた方。今さら成人病ではないでしょう。これからは老人として(死)を迎えるばかりですよ。ただ我々が何故成人病などといいだしたかのことを理解されておらず、ようやく三十年たって講義の企画をたてられる方の頭にこの言葉が認識されたのかと、時間がかかるものだと思います」と。
何故厚生省が昭和三十二年以来「成人病」という行政用語を用いたのか。
当然知りたいところなので色々調べてみて分かったことを「”成人病”の由来」という題で日本医事新報(3007,67,昭和56.12.12.)に書いたことがあった。ここにその詳細を再掲することはしないが、当時厚生省の倉庫にあった丸秘の書類を人づてにみせてもらってのものだとは書いておこう。
私が教授になりたての頃、何故冲中重雄先生の「日本の脳卒中の特殊性」の研究班に入ることになったかのいきさつについて、鵬桜会報(39,78,平成6)に「どうやらわかったことは僕の同級生の山形操六君が厚生省の企画課にいて・・・」と書いたことがあった。その山形君からの返事の手紙に「成人病」に関する事項があったので「歴史的事実」についての関係者の証言としてここに記載させて戴こうと思う。
山形操六君の手紙(5.31.'94)から
前略”名誉教授と語る”reference拝見、・・
・厚生省の冲中研究員になってもらった件で、私の名前まで出して貰って恐縮です。ついでに少し解説を加えておきます。
・昭和33.8-企画課へ移った時「成人病?壮年病?対策をどうアプロ−チするか考えよ」という大きなテ−マをもらった。discussの上大蔵省から予算をもぎとるためには、成人時代から生活習慣食習慣等に注意せねばダメ−という思想を普及させ、行政的名称で”成人病”と名付けよう−これは学者にも納得してもらうと決心。いずれにしても”成人病対策連絡協議会”をスタ−トさせ、学者等の研究班をスタ−トさせることになった。
・大学の先生方と最初から相談するとどうしても学閥意識が知らず知らず出るので、国立病院課時代に院内に”高血圧センタ−”循環器センタ−””癌センタ−”を基幹病院に設置した際親しくなった東一、東二、大阪、名古屋等の先生方の意見を徹底的に聞きまくった。臨床家の方は案外うまくまとまったが、epidemiologistがいない。たまたま直ちゃんの発表をみて”neuesを出してくれそうだな!老人どもの中にブッコメ”と決意。しかし、やはり企画課の中でコメント発生:企画課長東大法科出と小生の上司先任技官矢野ドクタ−から「若すぎる、不釣り合いだ」小生と同級生だと分かったら「私情を入れるな」ときた。「何言うか」とばかり国病時代耳学問で得た知識をぶちかました。課長「何か問題が発生したら責任をとるか?」「とる」。矢野さんが東大の連中に聞き廻った結果「山形技官が十二分に檢討した結果だから私は支持しよう」と言ってくれた。後で判明した事は、当時東一の内科にいて後に群馬大のProf.になった葛谷?氏が、矢野技官と同級生で「山形は国病時代に非常によい仕事をした。從来の技官とタイプが違う。同級生という点があるが−それだけの理由があるだろう。yesと言ってやれ」という助言があった由。何かの会で群大Profの彼と昔話をした時「佐々木直亮先生がメンバ−になるとき、たしかにひと悶着ありました。しかし冲中先生が山形君は本当に良い人をすいせんしてくれたと感謝していました。私達もみな同感です」と述べてくれ、「ザマミロ、俺の目にくるいはない」と胸の中は誠にさわやかでした。
「日循協創立30周年記念特別講演別刷」の返事の手紙(13.11.'95)から
・厚生省へ入って4年目位で、国立病院課→企画課(公衛局)にうつり、”成人病”にとっくんだのですが、予算要求の段階で大蔵省が”成人病”という名称を承知しない。せめて”壮年病”にせよ−理由は”がん”を成人病の中にいれていたので。しかし君の主唱をみて、どうしても食生活を若い内から考えないといけないと思い、誰が言っても”成人病”の名を取り下げないように頑張ったが、自慢話ではないが、良いことをしたと思っている。
もう一つ委員をきめる際に候補者名を見ると”高血圧”の処は冲中研究室の同窓会のようなもの、疫学者がいないので当然君を入れた。ところが”若すぎる”→”山形は同級生を”というニュ−スが伝わって、じわじわと圧力がかかってきた。”誰に聞いても結構渡辺定さんの判定にしたがう”と宣言した。定さんに聞いたらしく以後何のご沙汰なし。その後経過は案の定”山形君は良い人をすいせんしてくれた”の反応”ザマ−ミロ”とほくそえんだ次第。その中で秋山さんは最初から応援団の一員であった。
昭和三十二年二月十五日開催された第一回成人病予防対策協議連絡会議事録には、出席者有本・青柳・青山・桐沢・小島・佐々・島田・田崎・樋口・渡辺各委員・・・他に事務局側より中原・山形・浦田各技官及び辻事務官とあった。
厚生省の各委員会の基本形は今もかわていないであろう。そして「技官」のなかに若き医学部卒業生がいることも変わっていないであろう。
今回の「生活習慣に着目した疾病対策の基本的方向性について」(平成8年12月18日)公衆衛生審議会成人病難病対策部会(部会長:大谷藤郎)から「意見具申」がおこなわている。
そして今日では丸秘ではなく「インタ−ネット」の厚生省のホ−ム・ペ−ジに詳細がのっていた。
「近年、成人病の発症には生活習慣が深く関与していることが明らかになった(われわれもその一部を明らかにしてきたとの思いがあるが)ことから、加齢に着目した「成人病」に代えて、「生活習慣病」の概念を新たに導入しようというのが狙い」と解説されている。
「今後、生活習慣に着目した疾病概念の導入にあたっては、生活習慣病という呼称を用い、「食習慣、運動習慣、休養、喫煙、飲酒等の生活習慣が、その発症・進行に関与する疾患群」と定義することが適切であると考えられる」とあり、また「life−style related diseases」と英語名もついていることも時代である。(10-1-15)
(弘前市医師会報, 258,55-56,平成10.4.15.)