あまり身近のことを書くと、すぐあれは誰か、とつい詮索してしまうものだが、一般的なテ−マとして受け取って戴ければ幸いである。それと具体的に書かないと、その背景がわからないから、ややくわしく述べさせて戴く。
正月早々申しわけないが、昨年は多くの身近な方々を送ったことが思い出される。
それは、ある通夜の席でのことであった。焼香がすんで、喪主の挨拶がはじまった。その折聞いた話が忘れられないし、この小文のテ−マでもある。
医学を学び、戦後の困難なときに医業を行い、子供達を育て、立派に成人させ、街に開業の方々が多くなったとき、その道をゆずり、自分は自ら研究の道をつづけられた方のお葬式であった。
喪主の息子も医師となり、現代医学を十分に身につけた人であった。
父の病状が悪くなったとき、自分は自分の家で死を迎えたいといわれたという。ご自身の希望であった。
”十分な医療ができなくて”
と声をつまらせた時、一粒の涙を見た者は私一人ではなかったと思う。
医学を学んだ者として、医師として肉親の父の診察にあたり、自分の知る最高の医療が受けられない状態で父を死なせた、という気持ちは、心くやしいものではなかったかと思うのである。
老人保健法は、”健やかに老いること”が願われて成立したものと思うが、現実には、多くの人たちが老人になり、やがては死を迎えるという世の中で、医療のあり方が問われている時でもある。
昔聞いた話に、おめでたいことは、祖父母が死に、父母が死に、子供が死ぬことだということであった。
死があって、何がおめでたいのよ、という問いの答えは、物には順序がある、というのがあった。
子供が先に死んでは不幸だという。東北地方の乳児死亡率の高さについての問題提起であった。
働き盛りの人々の早死、身近にみる中年男性の不幸、これはなんとかしなければむなしいし、又それを防ぐやり方もあると思う。
だが、天寿をまっとうし、今天寿をまっとうしようとしている人を身近にもっている身として、その時の医療は何をするのか、それが問われていると思うのである。