7 りんごの食物繊維

 

 医学の祖といわれるヒポクラテスの時代から、すでに小麦のふすまに便秘予防・緩下剤のような効果があることが知られていたという。

 18世紀以後、小麦の製粉技術の進歩に伴って清粉度が上昇し、それ以来、パンの白黒是非論、すなわち製粉して白いパンにしたほうがよいのか、そのままの黒いパンがよいのかの論争が続いている。

 19-20世紀にかけての学会の大勢は、栄養素の利用効率が向上するという観点から小麦粉の精製を承認してきた。

 ことに食品のエネルギ−価の基礎的研究による食品成分の利用性につての研究が行われる中で、植物性食品の利用可能及び不能炭化水化物についての研究は、繊維がむしろ栄養成分の利用効率を低下させるという基盤を与えてきた1)。

 炭水化物というと生化学的には前に述べた糖質と同義語であるが、人体がエネルギ−として利用不可能なものとは別に、利用可能な炭水化物を示すべきだという考え方もある。

 食品分析上、炭水化物の中で糖質とか繊維という場合には、それぞれ測定方法別に定義されている。

 繊維とは、化学分析上酸やアルカリによる加水分解に抵抗性のある植物性食品の部分で、現在の食品成分表にある繊維は、試料を1.25%硫酸溶液及び1.25%水酸化ナトリウム溶液で順次分解処理した残液の有機成分で、これは粗繊維(crude fiber、略してCF)といわれる。

 また食品成分表における糖質は、原則として、水分、たんぱく質、脂質、繊維及び灰分の合計量を100gから差し引いて示されている。

 「繊維」といっても、その測定法がいろいろあるから注意を要するが、前に述べた定義による繊維がすべて消化されない物質のみからなるかどうか、また上記の測定法で完全に回収測定されているかは明らかではない。

 

 欧米先進国の人々の疾病構造・健康問題は時代とともに変貌して、いわゆる伝染性の疾患による死亡は少なくなり、循環器疾患としての心臓病や悪性新生物の癌による死亡が相対的に目立つ時代になってきた。

 そして、西欧文明病ともいわれる動脈硬化から起こる心臓病が、白人と比べアフリカなどの原住民には少ないことは、食物の相違、ことに低脂肪、高繊維食によるのではないかと考えられるようになった。

 1953年になって、ヒブスレ−(E.H.Hipsley)はそれまでの植物性食品の利用不能炭水化物と呼ばれていたものを説明するために、初めて「dietary fiber(食物繊維):DF」という用語を導入・提案した。そのときにはセルロ−ズ、ヘミセルロ−ズ及び関連の非炭水化物の3成分を指していた。

 前に述べた多糖類のペクチンは水溶性、非水溶性ともに上記成分と結びついて植物細胞壁の重要構成成分になっている。

 その後、1972年になってトロウエル(H.C.Tropwell)が再び繊維を検討し「消化酵素の作用を受けない植物細胞の構成物」として、生理的意味を含ませた。

 しかし現在までに、「繊維」に関しての定義や、その化学的性質については必ずしも国際的に共通な理解が得られているわけではない。

 最近は動物性多糖類に属するものでも、植物性の難消化性多糖類に似た生理作用があることが判明し、「植物性」と限ることができなくなった。

 そこで、「食物繊維とは人間の消化酵素で消化されず、消化管を介して何らかの生理作用を現す食物中の難消化性の物質群」と広く表現した方がよいとの考え方が述べられている。

 その場合、何らかの生理作用というものすべてが解明されたわけでないし、また繊維はすべてが不消化で排泄されるものでもなく、水に溶けないものは別として、腸内では微生物と関連する問題もあり、微生物により消化を受け、発酵され、便への排泄も少なくなる。また繊維はそれ自体高分子化合物として、保水性、陽イオン交換能、有機化合物の吸着能、ゲル形成能など種々の物理化学的作用をもつという研究があるから、繊維を摂取したあとの人体に及ぼす生理作用には、まだ分からないことが多いのが研究の現状である2)。

 

 従来は、消化液で分解されない繊維が消化管に存在することは、機械的に消化運動を促進し、間接的に消化を助成し、消化管内の排泄物の容量を大にして、便通を整えるのに役立つと考えられてきた。このため、繊維の多い食物は経験的に便通を整えると思われてきた。

 福田邦三は「便秘で癌を心配している19歳の女子学生」の便秘相談の中で、排便についての助言の1つとして「食事のときりんご1個以上食べる」ことを勧め、成果があったことを報告している3)。

 

 1954年、キ−ス(A.Keys)はペクチンのような多糖類を食事の中に加えると、血清コレステロ−ルが少し下がることを報告した4)。キ−スがこの研究を行ったのは日本を含めて世界7カ国の動脈硬化性心疾患と食事内容、特に血清総コレステロ−ルとの関係についての疫学的研究を始めた頃で、イタリヤで血清コレステロ−ルが低いのは野菜や果物をたくさん食べて、ペクチンやセルロ−スの摂取が増しているからではないかとのヒント5)からペクチンについ実験的に検討を行ったもので、広い意味の繊維の意義についての世界中の関心を呼び起こすきっかけになった。

 この研究報告はタイム誌(1960年11月7日号)にも取り上げられ、「Two Apples a Day」という標語で医学欄に登場したが、毎日15gのペクチンを3週間与えたら平均10mg血清コレステロ−ルが下がったということを伝える記事だった。この時代は、ちょうどアメリカで心臓病が問題視され、脂肪摂取が多く、血清コレステロ−ルが高いと、狭心症や心筋梗塞といった動脈硬化性の心疾患の発作や死亡をおこすのではないかとの疫学的研究が発表され始めたばかりだったので、その研究をわかりやすくまとめたキ−ス夫妻の著書「Eat Well Stay Well」が1958年にアメリカで出版されたときはベストセラ−になって広く読まれた。

 1963年に再版を出したときんはペクチンの研究がすすんだところだったと思われるが、りんごはペクチンを豊富に含まれるので、食事にりんごを加えるよう勧める理由になるかもしれないと付け加えた5)。私がミネソタ大学のキ−スの研究室に客員教授として滞在したのは、その少し後の1965年から66年にかけてであったが、そのとき先生にサインをして頂いた本が手元にある7)。

 

 また、先進西欧諸国で消化器の癌として大腸癌が問題になってきた時期の1971年に開かれた、大腸癌の成因についての第1回アメリカ癌学会のシンポジウムで、バ−キット(D.P.Burkitt)がアフリカと西欧諸国との疾病構造と食事内容の差について検討し、Dietary fiber(食物繊維)の重要性について述べ、繊維と大腸癌との関連について仮設を述べた8)ことは、その後の世界の研究に大きな影響を与えた。

 彼の考え方は「高度に精製された食品を摂取する場合には、残渣が少ないので、腸内環境が変化し、この結果発癌物質の生成が増加するが、繊維摂取が少ないため、糞便容量が少なくなり、排便回数の減少と糞便の消化管通過時間の延長を伴うことにより、発癌物質と腸粘膜との接触時間が長くなり、癌の発生が高くなる」ということであった。この仮設を彼が現在まで証明したわけではないが、その後の1970年代の後半から1980年にかけて、循環器疾患・悪性新生物そして糖尿病と食物繊維との関連に研究が相次いで報告された。

 弘前大学第一内科の吉田豊らは、大腸癌の発生状況並びに大腸疾患と食物繊維について報告している9)。  

 すなわち、国民栄養調査の結果から著者らが計算した国民1人1日当たりの食物繊維摂取量は、昭和24年(1949年)の23.3gから昭和60年(1985年)には16.8gと著しく減少し、これは昭和35年(1960年)後半からの米類の摂取量の減少と関連していること、また地域的には青森地区が繊維摂取量は最も多いが、大腸憩室疾患と繊維摂取量とは負の相関で少なかったことを示した。

 太田昌彦ら10)は日本における食物繊維(DF)の摂取量について、食品成分表の繊維量の値ではなく、精度の高い測定法を用い、非セルロ−ズ多糖類(ヘミセルロ−ズ)、セルロ−ズ、リグニンの値をそれぞれ求め、その合計をその食品中にDF含量とするという方法を用いて、昭和57年度国民栄養調査が実施された青森県内の4地区84世帯につぃて検討し、さらにまた大腸疾患としての大腸ポリ−プ、大腸憩室例についても検討し、昭和24年から54年までDF摂取量は暫減する傾向にあること、青森県におけるDF摂取量は日本においても最も高いブロックにあるが、その中で大腸疾患群と対照群との間にはDF摂取量に有意の差があり、大腸憩室の発生にはDF摂取量の低下が明らかに関係していると報告した。

 また、棟方昭博らは青森県内の出生コホ−ト別に大腸癌の発生頻度をみると、おおむね加齢によって増加傾向があるが、出生年の新しい群ほど古い群より同じ年齢での発見頻度が高いことを認め、何か環境因子の関与を推測した11)。昭和49-58年に青森県内に発生した大腸癌について、環境因子としての食事との関係について調査検討した結果、大腸癌群では食物繊維量は14.9g/日、対照群は19.9g/日で12)、米飯、果実類、みそ汁の摂取が対照群に比べて少なかったことを認めた13)。この場合の食物繊維の約35%は米類によると述べ、従来の日本食が大腸癌の発生のリスクを下げていることが示唆されたとしている。

 また、大腸ポリ−プ群と対照群の食事調査の結果でも10)、食物繊維量は対照群21.1g/日、大腸ポリ−プ群18.2g/日で、大腸ポリ−プ群に有意に低いことを認めた。また、1.2-ジメチルヒドラジン(1.2-dimethlhyrazine)投与による実験的大腸癌に対する食物繊維の効果も検討14)し、セルロ−ズ、小麦フスマなどの食物繊維がラットの大腸癌の発生を遅延させ、その作用機序として糞便重量・容積増大の関与が示唆されたとし、このような結果は大腸疾患と食物繊維についてのバ−キットの仮設を支持するものだと述べた。

 青森県内の果物は主としてりんごと考えられるから、食物繊維の摂取にりんごが関連していることは疑いもないと思われ、りんご摂取は大腸疾患を少なくする方向に関与していると考えられる。

 

 数多い食物繊維についての研究の中で、特にりんごとの関連のある研究には次ぎのようなものがある。

 りんごより抽出された繊維を与えたところ、ややトリグリセリドが減少の傾向をみせるほかは、コレステロ−ル、HDL(高比重リポたんぱく)-コレステロ−ルともほとんど変動は認められなかったネズミにおける観察15)、また、りんごなどの食物繊維を与え、ややトリグリセリドが減少の傾向をみせるほかは、コレステロ−ル、HDL-コレステロ−ルともにほとんど変動は認められないとする健康人についての報告がある16)。

 人にペクチンを与えたときの総コレステロ−ル、HDL-コレステロ−ル、LDL(低比重リポたんぱく)-コレステロ−ル、VLDL(超低比重リポたんぱく)の変化を検討した成績17)がある。

 人に対するりんご摂取によるコレステロ−ル低下の影響について、以前行った動物実験の生化学的考察を行って、胆汁酸の便への排泄を促進し、その結果、肝臓におけるコレステロ−ル合成退化の可能性を示した研究も最近報告された18)。

 弘前大学第三内科の武部和夫らはりんご果汁を搾ったあとの残渣物を精製し、凍結乾燥粉末化したりんご繊維(アップルファイバ−、AF)について基礎的・臨床的に、胆汁酸、血糖、インスリン、脂質に及ぼす影響を検討して報告した19,20)。

 このAF粉末1gはりんご1個分に相当し、成分はペクチン10.8%、セルロ−ズ27.7%、ヘミセルロ−ズ18.6%、リグニン1.7%で、繊維成分としては58.8%を含んでいる。

 AFには、血中総コレステロ−ルの低下作用、(悪玉)と考えられているLDL-コレステロ−ルのの低下作用、(善玉)と考えられているHDL-コレステロ−ルの増加作用と、抗動脈硬化指数上昇作用がある。

 抗動脈硬化指数というのは、動脈硬化に対していわゆる(善玉)と考えられているLDL-コレステロ−ルの総コレステロ−ルに対する割合を示す指数である。だから、抗動脈硬化指数の上昇とは動脈硬化を起こさないように作用していると考えられる。

 また、糖尿病患者の治療においてもAFの効果について、AFを5gあるいは15gを6カ月間投与して、血糖、血中インスリン濃度、便中及び便中胆汁酸排泄などについて報告している21)。りんごをそのまま長期間たくさん食べることは実際上不可能に近いので、それに相当するAFを製剤化して投与するのは臨床医学的配慮といえよう。

 抗動脈硬化指数を上昇させるにはAF製剤5g、すなわち、りんごとして5個以上の「繊維量が必要と武部和夫は解説している20)が、実際にりんご生果として繊維(DF)量を実測した成績によると10)、湿重量100g当たり1.39g(ヘミセルロ−ズ0.42g、セルロロ−ズ0.91g、リグニン0.06g)であるから、りんご1個200gとすれば2.8g、ちょうど大きいりんご1個300gとすれば4.2gのDFを摂取することができることも忘れてはならないと思う。

 

 以上、りんごの食物繊維について考えてみると、以前は、繊維はいわゆる必須の栄養素と見なされていなかった。低栄養状態にある人にとって、栄養素の吸収阻害作用がある食物繊維は、栄養状態をさらに悪化させることにつながり、好ましいものとは考えられなかったようである。それなのに、文明西欧諸国の疾病構造の変化に伴い健康問題としての循環器疾患や悪性新生物の成因についての研究が進うち、脂肪とかエネルギ−のとり過ぎによる過剰栄養状態にある人の場合、またはその結果とみられる高脂血症、肥満や糖尿病の場合、栄養成分のある程度の吸収阻害は、その生体にとってはむしろ好ましい状態を作り上げると考えられてきたようである。

 従って、りんごを食べることは、空腹感を満たす飽満効果があり、相対的に飽食や過食を防ぐことになる。それだから1日にりんごを2個食べると大部分の人々のコレステロ−ルが10%下がる効果があるのだという意見を述べる人もいる22)。食事の始めにりんごを食べると、あとは食べ過ぎにならないのでよいと勧める医師もいる。

 しかし日本人の場合、これから育つ人の将来は分からないが、脳卒中についての疫学調査によって、血清脂質が低すぎることかえって脳卒中になるリスクが高いといい、コレステロ−ルは低すぎても高すぎても悪いと報告されているから、「コレステロ−ル」についての考え方、また対策は慎重でなければいけないと思う。

 また、りんごの効果は「繊維」だけにあるのではない。では、りんご本来の栄養素とは何で、どのような作用があるのであろうか。

文献

1)印南敏ら編:食物繊維、第一出版、東京、1982.

2)印南敏:臨床栄養、57,605,1980.

3)福田邦三:保健の科学,5,31,1963.

4)Keys,A.et al.:Circulation,20,986,1959.

5)Keys,A.et al.:J.of Nutrition,70,257,1960.

6)Keys,A.and M.Keys:Eat Well Stay Well,1960.

7)佐々木直亮:公衆衛生,31,398,1967.

8)Burkitt,D.P.:Cancer,28,3,1971.

9)中路重之,他:消化器科,10,86,1989.

10)太田昌徳,他:日本消化器病学会誌,82,51,1985.

11)棟方昭博,中路重之:輸液ジャ−ナル,11,1077,1989.

12)太田昌徳,他:大腸肛門誌,40,741,1987.

13)石黒昌生,他:日本消化器病誌,投稿予定.

14)岩根寛:日本消化器学会誌,86,2713,1989.

15)Karvinen,E.and Miettinen,M.:Acta Physiol.Scand.72,62,1968.

16)Jenkins,D.J.A.et al.Am.J.Clin.Nutr.,32,2430,1979.

17)中村治雄:臨床栄養,57,624,1986.

18)Sable Amplis,R.et al.:Nutrition Research,3,325,1983.

19)武部和夫,他:最新医学,37,2268,1982.

20)武部和夫:日本医事新報,3159,147,1984.

21)武部和夫,他:糖尿病学,314,診断と治療社,1988.

22)Kritchevsky,D.:MedicalTribune,June,1,1989.

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