人の生命科学の歩みの中に今日の栄養学の源泉があり、その栄養学の基礎として化学は最も重要で、近代化学の進歩によって、食物成分の知識−その成分が消化・吸収されたあと体内で代謝されるという知識−が進歩して今日の栄養学が生まれた1)。
フランス革命200年といわれるが、そんな時代に登場し、1794年断頭台の露と消えたラボアジエ(A.L.Lavoisier)は、現代栄養学の基礎を開いた人といわれ、イギリスのプリ−ストリ(J.Priestley)が1774年発見した気体を、1776年生命の空気と呼び、酸素(oxygen)と名づけた人としても知られている。そして、太古から食物のもつ「力」としての概念を現在の食物のもつ「エネルギ−」へと理解させることになった動物の呼吸に関する実験を1777年発表し、さらに有機化合物を構成している元素を分析し、食物の栄養成分を脂肪・たんぱく質及び炭水化物(糖質)の三大栄養素として考える化学の基礎を築いた。そして現在の食品分析表へつながるのである。
日本食品標準成分表による果実類のうちのりんご(苹果・apple)の成分2)、アミノ酸組成3)、脂溶性成分4)、無機質含有量5)、など6)示されている。
りんごの中にあるそれぞれの栄養素が、人の健康とどのようにかかわり合っているのであろうか。
「食品の摂取量の過不足が身体にとって影響を及ぼすのは、食品ではなく、栄養素である。従って、ある栄養素の摂取量の過剰が問題になるとき、その栄養素の供給源となる食品が複数存在する場合には、それらのうち、当該食品をたくさん摂っても、他の食品の摂取量を減らせば、さしたる問題を生じないことになる。あるいは、その栄養素の過剰による害を打ち消す他の栄養素がもし存在すれば、それを多く含む食品を摂ることによって、当該食品をかなりたくさん摂れることになる」という考え方が、牛乳・果物の摂取と栄養素バランスについての質疑の中で述べられている7)。
りんごのもつエネルギ−は100gについて50kcalであるから、りんご1個200gとして100kcalの価値はある。仮に1日2,000kcalをりんごだけでとることは理論的には可能だとしても、それだけならほかの栄養素の不足を来すことになる。また、ほかにご馳走を食べその上にりんごを食べれば、その分だけエネルギ−は過剰になる場合がある。
りんご果実に存在する糖質の主なものは、ブドウ糖、果糖、ショ糖で、生育後期からでんぷんの消失に伴って次第に増加してくるが、収穫期から貯蔵中にかけてショ糖の減少、還元糖(特に果糖)の増加、全糖としては減少、さらに微量のマンノ−ス、ガラクト−ス、アラビノ−ス、キシロ−ス、ガラクトロン酸、グルコン酸、ミオイシト−ル、糖リン酸、ソルビットなどの存在が知られている。また、りんご果実に存在する有機酸の主なものはリンゴ酸で、このほか小量のクエン酸など数十種類が含まれている8)。
りんごをたくさん食べるとよいといっても「トリグリセリッドが増え動脈硬化になる」と解説されている文章にぶつかることがある。食事全体のエネルギ−を考えなければならないが、りんごのような果物の中の果糖(フルクト−ス)という糖類が含まれていることが血清脂質との関係で問題になる。
果糖は単糖類の中の六炭糖の1つであるが、過剰に摂取した場合には同じ六炭糖に属するブドウ糖より脂肪酸に転換しやすいからである。
過剰でなければエネルギ−源として燃焼し、食べただけ消費されてしまうから問題は少ないが、エネルギ−源としての他の栄養素とのバランスの点を考慮しなければいけない。
果物に含まれる果糖の量は、いちご6粒、りんご、なし、もも各1個、ぶどう20粒の中に各数g程度、かき1個、バナナ1本の中に各10g程度である。従ってエネルギ−過剰にならない場合には、全体の食品構成、栄養素摂取量を正常に保てる限り、りんごのような果物を摂取することに問題はないと考える。
りんごの灰分、すなわち550度Cで加熱して、有機物及び水分を除去した残分と定義される灰分は、食品中の無機質の総量と考えられる。
りんごの場合、100gについて0.3gである。そして、その灰はアルカリ性である。味覚からくる酸性の印象とは異なり、りんごはアルカリ性食品である。しかしアルカリ性食品だから、それを摂取すれば人の血液がアルカリ性になり、従って健康食品だということにはならない。アルカリ性・酸性食品の意義が強調されたのは100年も前のことで、昔の栄養学に登場した考え方であった。しかし今は違う。
人の血液のpHは7.4前後と極めてわずかな変動の範囲にあることが、生命維持に必須な条件であり、アルカリ性食品の摂取がすぐ体液の変化を来たし、健康になるとは、医学的には納得されてはいない。
アルカリ性食品・酸性食品に関する学説またはその誤りについて、早くその未練を断ちきり、次ぎのステップへ踏み出さねばならないと書かれた解説書9)が出版されているので、それを参考にしていていただきたい。
次ぎにりんごのビタミンはどうであろうか。
ビタミン学が進歩し、日本でも北里研究所の藤田秋治らによって測定法が検討され、野菜・果物のビタミンA,B1,B2,Cの含有量と貯蔵中の変化が観察され、りんごについての数値も報告された10)。
りんごの果汁製品としての清澄方法、貯蔵期間、容器などとビタミンとの関連が稲垣長典らによって検討され。りんご果汁にはビタミンB1として遊離型のみ存在し、綜合型は存在せず、その含量は平均100g中10.7ガンマ−(μg)であった。りんご果汁を清澄にする方法としては酵素を使用する方法がビタミンが保存されてよいことを示した11)。
労働科学研究所の「貯蔵による野菜および果物のビタミン含有量の変化について」の研究の中で、りんごについても検討され、ビタミンB1において10週までは変化なく、それ以後は増加し、ビタミンB2は全期間を通じて大差なく、ビタミンCは貯蔵後4週にして保存量が著しく減少したと報告された12)。この際のビタミンCの測定法は2,6-ジクロルフェノ−ルインドフェノ−ル(2,6-dichlorphenol-indophenol)測定法によっているので、その測定値は、次ぎに述べるよに単に減少したのみとは解釈できない。
また、津軽でのシビガチッャキ症というビタミンB2の欠乏を主とする栄養失調症について全学をあげて研究が進んでいた頃、弘前大学第一内科の中谷新三13)はりんごのビタミンB1,B2について、総ビタミン量、エステル型、エステル比について検討している。紅玉及び国光の両種のりんごについて実すぐりをする時期の6月中旬から約1年間にわたって、B1、B2の変動を追究して、各期間におぴて個体差の著しいこと、成熟過程において、また10月中旬より5月上旬までの貯蔵中のB1にはほとんど変動が認められなかったが、B2には低下を認めたことを報告した。
食品成分表のB1、B2は可食部100g当たりそれぞれ0.01mgであり、個体差はあると考えられるが、果実の中では少ないほうである。
ビタミンCについては次ぎの章で述べる。
ネズミの繁殖障害、不妊を防止する因子として植物性油の中に必須栄養素の存在が1922-23年に推定され、1936年小麦胚芽油から結晶誘導体が得られ、トコフェロ−ルと名づけられた。このトコフェロ−ル、つまりビタミンEの野菜・果物中含量についての報告の中で、りんごについては果肉部に0.18、皮部0.61(mg/新鮮果実100g)と報告されている14)。
りんご中のミネラルはどうであろうか。
野菜・果物中のミネラルのうちカリウムのもつ意義は、日本の東北地方で展開された脳卒中・高血圧の予防に関する疫学的研究によって注目されるようになったが、この点についてはあとで述べる。
その他のりんごに含まれる微量元素につての検討は今後の研究を待たなくてはならないが、りんご果実のリン・鉄・カルシウムの経日変化を検討した結果、リンは成熟に伴ってやや低下、鉄は成熟期間を通してほぼ一定、カルシウムは8月末まで低下し、その後一定と報告された15)。
また最近、亜鉛欠乏症に対するりんご(りんごジュ−ス)の効果が報告された。弘前大学皮膚科の花田勝美は皮膚疾患と微量元素との関連について研究している間に、母乳栄養中に一過性に腸性肢端皮膚炎様の症状を示した乳児が、りんごジュ−スを好んで飲用したところ、血中亜鉛濃度の回復とともに多彩な皮膚症状が改善したという事実を述べている内山安弘の報告16)に興味を覚え、りんごジュ−スの亜鉛欠乏患者への応用、りんごジュ−スの亜鉛吸収試験を行った結果を報告した17)。
腸性肢端皮膚炎というのは1942年に初めて報告された疾患で、1973年にはこの患者の血清亜鉛は低値を示すことが指摘された。
研究の結果、りんごジュ−スは高い純度のものを摂取することにより、生理的濃度の亜鉛が容易に消化管から吸収され得ることが判明したと述べている。単に薬剤として投与される硫酸亜鉛よりも、消化管からの吸収がより速やかであることを示唆する成績を得たのである。亜鉛の生体的意義が注目され始めた現在、極めて興味ある所見といえる。
同じく皮膚科の門馬節子は皮膚疾患と血圧の研究において、血清亜鉛や皮膚疾患患者のりんご摂取状態を検討し、報告18)している。外来患者2,639例について、正常血圧群と高血圧群との間で血清コレステロ−ル値には有意の差は認められなかったが、りんごを食べない群に比較して、りんごを1日2個以上摂取する群では、正常血圧が有意に多くみられ、また従来、高血圧症の皮膚変化とされていた赤色高血圧は、特異的な変化とはいい難いこと、また同時に行った血清亜鉛と高血圧との関連は有意義は認められなかったと述べた。りんご摂取と血圧の関連が弘前大学を受診した患者について認められたことは、りんごと高血圧の章で述べる一般住民について認められた結果と併せ考えると興味がある。
1975年に「腎結石:1日1個のりんごで防げるか」というイギリスの研究者の新所見が報道された19)。イギリスで腎結石が多発する「腎結石ベルト地帯」が存在するのはなぜかととの疑問にこたえるロンドン泌尿器学研究所のロ−ズ(G.A.Rose)らの研究20)を伝えたものであったが、腎結石は生野菜や果物の摂取量の差との相関し、摂取量が多いと結石形成に対する防御効果があるように思われるという内容であった。野菜や果物を多量にとると、どうして結石が防げるかは不明だが、1つには多量に含まれているマグネシウムの効果ではないかと考察されている。
以前、青森県における疫学的研究の中で人の夜間排尿回数の調査をしたことがあるが21)、りんごによる利尿効果についての系統的な研究はないようである。
果実有機酸については近年、簡易迅速分析法としてのガスクロマトグラフィ−が試みられ、果実中の揮発性及び不揮発性有機酸の定量成績が報告されており、ギ酸、酢酸、乳酸、グリコ−ル酸、シュウ酸、フマル酸、リンゴ酸、酒石酸、クエン酸の定量を行っているが、りんごにはギ酸が29.8(mg/100g新鮮果実)と多かった22)。また、りんごの香気成分に関しては、品種によるにおいの特徴について検討した報告がある23)。n-ブチルアルコ−ルが最も多かったがクロマトグラフ上、28ものペ−クを観察している。品種によるにおいの特徴は、ある特定の物質によるのではなく、成分比に違いによるのではないかと述べられているが、それぞれどんな効果があるのであろうか。
「赤いりんごにくちびるよせて」は歌の文句であるが、りんごの色はさまざまである。りんごの地色の黄色色素はカロチノイド系の色素であり、β-カロチン、ルチン、ビオラサンチン、ネオキサンチンであって、これらは成熟に至る間に減少するものが多いが、一方、増加するものとしてビオキサンチンがある。赤色色素は主としてイデイン(Idaein)と名づけられたアントンアニン色素である24)。これの微量の成分がどのような生体作用をもつのかまだ検討されていないが、ビタミンCの章で述べる葛西文造らの一連の研究の中でルチンについての報告25)されている。
1)鳥園順雄:栄養学史,朝倉書店,東京,1978.
2)科学技術庁資源調査会編:四訂日本食品標準成分表,pp252-255,1982.
3)科学技術庁資源調査会・資源調査所:改訂日本食品アミノ酸組成表,pp60-61,106-107,1986.
4)科学技術庁資源調査会:日本食品脂溶性成分表,pp148-149,1989.
5)McCanceWiddowson/佐々木理喜子訳:食品の無機質含量表,pp62-63,第一出版,東京,1966.6)菅原龍幸,他訳:米国の食品成分表,建帛社,東京,1981.
7)小池五郎:日本医事新報,3026,142,1982.
8)岡本辰夫:りんごの果実の貯蔵/青木二郎編:新編リンゴの研究,pp328-353,津軽書房,弘前,1975.
9)山口迪夫:アルカリ性食品・酸性食品の誤り.第一出版,東京,1987.
10)Masanobu Ajisaka et.al.:J.Biochemistry,35,271,1942.
11)稲垣長典,大橋晋:日本農芸化学会誌,16,1089,1940.
12)広部りう,他:栄養と食糧,10,59,1957.
13)中谷敬三:弘前医学,10,481,1959.
14)山内亮,松下雪郎:日本農芸化学会誌,50,569,1976.
15)田伏千代子,他.:東北女子大学紀要,16,58,1977.
16)内山安弘,他.臨床皮膚科,35,921,1981.
17)花田勝美:りんご技術,4,21,1984.
18)門馬節子:弘前医学,40,97,1988.
19)Medical Tribune:1975年12月11日
20)Rose,G.A.andE.J.Westburuy:Urologogical Research,3,61,1975.
21)佐々木直亮,三橋禎祥:医学と生物学,45,63,1957.
22)山下市二,他.:日本農芸化学会誌,48,151,1974.
23)大石栄恵:家政学雑誌,27,566,1976.
24)望月武雄:果実の品質と肥料/青木二郎編:新編リンゴの研究,pp294-327,津軽書房,弘前,1975.
25)小山セイ,他.:果実VitaminCの特性に関する研究(3),第36回日本家政学会年次大会発表,1984.