明日の健康を求めて

(弘前大学保健医学研究会の記録)刊行の主旨

 

 弘前大学医学部では昭和28年に社会医学研究部のメンバ−が中心になり保健活動を始めました。そのとき衛生学の高橋英次教授が世話されたこともあって、その後の昭和33年に保健医学研究会と名前を変えましたが、衛生学教室の図書室を部室に勉強し、また夏には青森県内の市町村へ青森高等看護学院の保健婦学生と一緒に夏季保健活動にでかけました。そして昭和50年には医療技術短期大学部の学生とともに弘前大学保健医学研究会になり現在に至っています。

 この間になされた数々の活動の記録は、参加した学生諸君、医学生のみならず保健婦学生、医療短大生の青春の記録であり、また青森県の保健活動を語るに極めて貴重な資料といえると思います。幸いにして資料や写真がほぼ完全に保管されており、30年を越した今これらの記録の刊行を考えました。

 昭和61年3月

保医研記録刊行発起人

佐々木直亮

土方恒省 木村政一 栗林明弘 木村然二郎 浅野真彦 菊池弘明 田島 強 遠藤正彦伊藤昭一 木村 要 佐藤仁秀 佐々木大輔 岩崎光茂 仁平 將 秋山邦男 清水(名和)道子 加地輝彦 浦山 修 坂田 優 福田能啓 塩野時雄 和賀 卓 木村一弘 小尾重厚 中路重之 藤野(村岡)祐子 太田昌徳 平井裕一 鈴木雅之 長坂博範 藤森成裕 土橋伸行

「しあわせ」創刊号表紙(昭和29.3.31.発行)

高橋英次教授「社会医学について」 (弘前市内狼森保健館にて 昭和31.2.8.)

社医研コンパ(昭和30年)

フィ−ルド活動へ参加(昭和30.7.12.)

高橋教授・芳賀研三・武田助手・山中幸麿・田村穰

 

藤井正子         (岩手にて 昭和32年夏)

(西目村駅前にて 昭和32.12.12.)

高瀬育子保健婦・栗林明弘・斉藤秀三郎氏・菊池輝夫・柿崎六郎・佐々木教授・橋本功・山田匡・鷹島イチ保健婦・佐藤トキエ保健婦

(五所川原にて 昭和33.8.)

油川修一・佐藤明子保健婦・天野とも保健婦・高野敦・三浦利治

  

夏季保健活動中央反省会(医学部にて 昭和33.9.12.)

佐々木教授・平野良助国保連理事長・青山猛光国保連参事・花田ミキ県医務薬務課・土方恒省先生

  

日野博光・高松滋・三橋禎祥助手・栗林明弘・武田講師・油川修二              

                     三浦利治・山田匡・玉田平三学務係長・赤石英教授

小坂道子・田島強・久慈八重子・千葉陽一・平野潤子・松本義考・高野敦・大川元広・三塚浩三・日野博光

弘前大学医学部社会医学研究会発足(医学部2年講義室 昭和33.9.19.)

会長 栗林明弘

  

小原利之                  伊藤久子・佐藤浩子・三塚浩三

(保医研の人たちと 衛生学教室にて 昭和35.12.)

遠藤正彦・大滝千佐子・桂修二・木村要・加藤久子・伊藤恭雄・大内将弘・倉持徳子・佐々木教授・伊藤久子・福士講師・佐藤浩子・浅野真彦・小野寺敦・田島強

 

第2回医学看学合同学内ゼミナ−ル(昭和36.11.12.)  東北・北海道ブロック会議(昭和37.6.3.)            

大内将弘 柘植光夫      木村要 沢田康夫 (昭和37.6.3.)

  

NHK「夏の保健福祉活動みたこと感じたこと」佐藤仁秀・工藤興寿・原田美穂子(昭和39.9.5.)

  

(六ヶ所村にて 昭和43.7.29.)    加知輝彦・保健婦学生 

この日 保健医学研究会の記録集の刊行が提案された(昭和60.11.16.)

遠藤正彦・菊池弘明・佐々木教授・木村然二郎・木村要・佐藤仁秀

「明日の健康を求めて」(232頁)

弘前大学保健医学研究会記念刊行会・昭和61.11.29.発行

刊行記念パ−テイ キャッスルホテル 昭和61.11.29.

会の記録は鵬桜会報 33号 36−44 に掲載

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