あなた確率を信じますか

 

 サイコロを一回振って出る目は一から六までの目が一つ出るだけであるが、どの目が出るかは六分の一の「確率」と云われる。「確率」とは「いくつかの事象の生ずる可能性のある時、事前に予想して特定の一つの事象が起こる可能性の程度を、その事象の起こる確率という。一義的な因果率に対して、偶然性を数学的に取り扱う確率論は一つの数学として発展している」と解説されている。

 

 サイコロの場合一回に出る目は一から六のどれかではあるが、百回か千回振れば一から六の目はほぼ同数でる筈である。だから一から六までの目が出る確率は六分の一である。偶数か奇数かの丁か半ならその確率は二分の一である。「丁」は二または二で整徐される数、偶数をいい、「半」は二で割り切れない数、奇数である。「丁半」は采(サイコロ)を振ってその丁か半か当てて勝負を決する賭博である。その一回が勝負である。

 

 人間この世に生をうけ、死ぬのは一回である。その死が予測できないと考えたから、それは「運命」であると云われる場合が多い。「運命」とは「人間の意志にかかわりなく、身の上にめぐり来る善悪や吉凶、人間諸般の出来事が必然の超人間的偉力によって支配されるという信仰または思想に基づく」と解説されている。

 人の一生は「運命」であろうか。

  いまから二百年以上も前、人間の生死についての統計(数を数えること)が始まった。その前に人を数え始めた。ロ−マでは兵士、そして税をおさめる働き手を登録する必要があった。人の数を数え始めた。キリスト教は男女の婚姻と洗礼を記録にとどめた。日本でも田畑を耕す人を戸籍として記録した。

 中世にペストで何千万の人が死に、産業革命以後コレラで大勢の人が死ぬことが注目されるようになった。丁度天文学が進みハレ−水星が地球に近付いてきた頃の数学が、人の出生や死亡について規則性があることを計算し始めた。それらの学問が進歩したイギリスで始めて人の生死に関する統計としての「生命表」が作られた。そして人の生死についてある規則性があることが認識された。生まれた人がどのような「確率」で死を迎えるかを。

 

 それまでは人の死は予測できるとは考えられていなかった。

 封建社会で王から保護を受けなかった僧侶たちは自分らのため「生命保険」を考えた。だが掛金が年寄りも若い者も同じであったので金の勘定がうまくいかなかった。そのあと年寄りが「死亡率」が高く若い者は「死亡率」が低いという年齢別の死亡率という「確率」が違うという規則性が分かったので、年寄りは掛金を高くし若者は低くして「公平」にしたところ勘定がうまくいって、現在につづく生命保険事業になった。一番古い生命保険会社の名前が「公平」を意味するエクイタブルというのは意味のあることだ。いまは生命保険の社名の多くは「相互扶助」を意味する名前になってはいるが。

 

 誰もが自分が死亡するのは予測出来ない「運命」であると思っていたのに、年齢別の死亡の確率が計算されたのである。時のイギリスの総理が「生命表」をみてイギリス人が規則的に死んでゆく数字をみて感激して登録局長官にお礼の手紙を書いたエピソ−ドが語られている。

 

 人が死亡する前には病気の状態がある。疾病になる確率が「疫学」によって計算されるようになった。病気になった人は一般には病院や診療所にいる医師にみてもらう。臨床医は一人の患者を相手に医療を行っている。その資料の中から病気について考えている。

 「疫学」は、ある地域とか、ある人々の集団全部を、いわゆる健康者・患者を含めて全部の人を対象にして、その中の「ケ−ス」を調べてその割合を見ようということから出発する。これが「近代的疫学研究」である。そような研究によって今までとは違った見方によって人々の健康問題を考えることが出来るようになった。ごく最近に。

 

 「疫学」といっても中国伝来の黙って座ればピタリと当たる「易学」ではない。科学的な考え方によった「疫学」なのだ。

 疫学は一般に云われている比率(rate)を計算することから始まる。分母がその危険の可能性を持つ人口集団(population at risk)で、分子は対象になるケ−ス(case)として比率を計算する。よく行っている「集団検診」がそれにあたるのだが、そこで計算されるのは人々の中の「疾病者」の割合である。調査をしたその時点ですでに疾病をもっている人の割合である。その割合が対象別に差があれば何故そうなのか考える手がかりが与えられる。それが「横断的疫学調査」による次の研究への手がかりである。

 「患者」と「対照者」との間に差があればそれも手がかりになる。

 「手がかり」としてうかび、疑われた「要因」がいつも「原因」とは限らない。その手がかりについて今度は追いかけてみるのである。これが「追跡的疫学調査研究」である。

 「追跡的疫学的調査研究」と吉幾三の「雪国」とかけて何ととく。その心は「追いかけて 追いかけて」。

 

 「ガンについての実験的研究」「病理解剖的所見」「患者・対照研究」「横断的疫学調査研究」などによってタバコ喫煙と肺ガンとの関連が疑われてきた時、次にタバコを疑いのある要因として多くの人々を追いかけた。

 イギリスでは医師会員五九六00名について、アメリカでは一般人一八七七八三名について、日本では成人二六五一一八名について、観察を続けている間に何病で亡くなるかを追いかけて調べた。こんな研究が始まったのはそれぞれ一九五一年、五二年、六五年からである。その結果が最近分かった。

 観察開始時期には誰もが何病で死ぬとは予測していなかった。タバコを吸っている人も吸わない人も誰もが。それらの人々の死亡は運命ずけられていたのであろうか。

 タバコを吸わない人が死なないというのではない。タバコ喫煙の有無で区別すれば、死の「確率」が違うことが観察され、タバコ喫煙の程度が多いほど死の危険が多いことが計算された。

 

 イギリス医師会は「喫煙と健康」の報告書を一九六一年に出し、朝日ジャ−ナルは「紙巻タバコは肺ガンを招く」と伝えた。

 アメリカの「喫煙と健康に関する諮問委員会」は一九六四年に報告書を出し、サンデ−毎日は「喫煙に対する史上最大の告発」と伝えた。

 タバコ喫煙をしていた人は喉頭ガンや肺ガンのほか、心筋梗塞で死ぬ確率が多いと計算された。これらは「追跡的疫学調査研究」の結果である。

 この結果が出てから世界はタバコ喫煙中止への行動が開始された。

 疫学的研究としてはさらにタバコ喫煙中止でガンとか心臓病が少なくなるかを確かめるために「介入・干渉研究」(インタ−ベンション・スタデイ)で確かめようとしている。その結果がでる迄にもう行動を起こそうというのが今の世界の保健衛生の専門家の考え方である。 

 

 一九七五年にはWHO(世界保健機構)は「タバコの害とたたかう世界」を、七九年には「喫煙流行の制圧」の報告書を出し、八十年には「タバコ喫煙と健康、選ぶのはあなた」といったが、現在は「タバコか健康か、健康を選ぼう」へ変わり、八十八年四月七日を世界統一禁煙デ−にした。そして「紀元二000年までにタバコ喫煙のない世の中へ」これが世界の国々の「タバコ病追放の政治戦略」の目標になっている。

 

 あなた「確率」を信じますか

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