ガンには十二ぶんにお気をつけください
昭和三十三年朝日新聞社は創業八十年記念事業として日本対ガン協会を発足させ、民間として全国的な活動を開始した。 アメリカではすでに先輩のガン協会が活動していた。
「アメリカでは毎年四十五万人の人がガンにかかります。そのうち五万人は助かりました。協会が(早期発見・早期治療でガンはなおる)と啓蒙活動にのりだしてから、さらに十五万人の人が助かるようになりました。症状に注意して、早く発見した人、症状がなくなっても、毎年一回の健康診断をおこなって、ガンを芽のうちにつみとってしまった賢い人々です。しかしまだ二十五万人が毎年死んでいます。」
まだ日本では政府として結核対策に追われて、ガンの死亡はまだ日本では十万人にはなっていない頃であった。そして「ガンの予防」の本が刊行された。副題に「ダイヤルCをまわせ」とあった。
このヒッチコックなみの副題がついた意味は、これまた病気でも先進国のイギリスのハル市で試みられた対ガン運動の新形式、すなわちあらかじめきめてある電話の番号を回すとガンセンタ−につながって、ガンについてなんでも答えましようというものであった。ダイヤルCのCはキャンサ−の頭文字であった。
乳ガン予防の最良の方法として鏡の前で金髪美人がおっぱいを出した「トップレス」で自己検診しているカラ−写真がのっていたので当時としては珍しく、それで買った人もいたのではなかったか。
「胃ガン」「乳ガン」「子宮ガン」「前立ガン」「肺ガン」「脳ガン」「骨ガン」とそれぞれ専門領域の権威者、当時の臨床の大家の方々のインタ−ビュ−の答えが中心に編集されていた。基本は「早期発見」「早期治療」のすすめであった。
「はじめは痛くもかゆくもないガンが進行ともに症状がでてきてきます。出はじめてきた症状は普通はきわめて弱く小さい症状です。しかし治療の点からいうとこの時期が生死の境になることが多いのです。」「早期発見」「早期治療」の知識についての本であった。まだ世界中「ガン予防」の方法がわかっていない頃だったからである。
この頃一番強調されたのは「ガン・七つの赤信号」であった。中山恒明教授がまとめた「ガンの七つの警鐘−赤信号」は次のようであった。
一 胃腸のぐあいが、ながらく悪い場合
二 子宮からの不正出血や、くさいおりもののある場合
三 シコリやイボが、だんだん大きくなる場合
四 物をのみこむとき、つかえたり、しみたりする場合
五 便通に血がまじったり、大便が細くなる場合
六 カラゼキが続いて、ときにタンに血がまじる場合
七 原因がなくやせて、顔色が悪く、また貧血をみる場合
右の症状が、四十歳以上の人に現れて、別に痛みもなく、熱も出ないで、比較的に長い期間(三週間以上)なおらない場合は、一応ガンと疑って、医師の的確な診断を受ける必要がある。
一は胃ガン、二は子宮ガン、三は乳ガンや皮膚ガン、四は食道ガン・噴門ガン、五は直腸ガン、六は肺ガンを疑わせる症状であり、七はどのガンでもある程度進行すると出る症状ということで、医師の精密検査を受けろというものである。
「早期発見」「早期治療」によって死亡をまぬがれることができるという日本の医療水準のなかで、その医療も受けないで死亡している人が多いので、ガンについての知識、とくに本人がその警告の意味を理解できる知識をもってもらいたいと「ガンの予防」の本が出版された。
昭和五十二年に青森県で一九七0例のガン死亡があり、そのうち一0九二例の生前の様子を聞き取り調査した結果、医師が初めて診断したときにはすでに手遅れのガンである人が多かったことが判明した。胃ガンの場合男三十三%、女四十四%は手術はなく、子宮ガンの場合にも五十五%は手術がないで死を迎えたという調査結果ををみれば、医師を受診し、診断がついたときには病状は治療の方法もない状態であったことが伺われた。だから「ガンの告知」の問題もおこると思うのだが、日本の状態は大体どこでもこのようであろう。
「早期発見」「早期治療」は今もってガン対策として強調されるのだけれど、あれから三十年医学はどれだけ進んだのか。
この頃ではガンと診断がついても簡単には死なせてくれないほど、日本におけるガンの治療医学水準は世界一とも云えほど進歩した。
ところがガンの研究が進むとDNAレベル、細胞レベルのことから「ガンの自然史」がわかってきた。「ガン・七つの赤信号」の症状がでるようなったときは、かなり末期のガンの症状なのだ。
医師の手によって「早期発見」できる段階は、「ガン腫」の大きさとして数ミリの大きさになった腫瘍ということであるから、細胞数としては数万あるいは数十万と考えられる。勿論その段階でも現代の医療はガンを治してくれるが、そこにまでいかないように、ガンにならないようにする方法はないものか。実験的なガン研究から「発ガンの原因」「発ガンの機構」が推測されるようになった。そこで分ったことは「第一次予防」というようになった。しかし動物では実験出来ても人間では実験できない。そこで登場するのが「疫学的研究」であった。疫学は人間が自然に実験してきたものとして眺めるのである。
疫学的研究で疑われたタバコ喫煙とガンとの関係は、タバコの煙の中に発ガン物質としての「イニシエ−タ」と「プロモ−タ」が共に含まれているからだと考えられている。食塩が高血圧だけでなく胃ガンにも関係しているのでないかと疫学的研究から疑われたのは日本で昭和三十年頃からであった。だが食塩を動物に食べさせても胃ガンをつくることはできなかった。すなわち「イニシエ−タ」にはなりえなかった。それが三十年近くたった現在胃ガンを発生させることのできる薬物(MNNG)を与えた場合食塩は「プロモ−タ」として作用することが証明された。従って人間の場合日常食べている食塩が人に胃ガンを発生させる可能性があると考えられるようになった。
昭和から平成に時代がすぎてあれから三十年。厚生省は「十二カ条のガン予防の心がけ」を広報した。
一 バランスのとれた栄養をとる
二 毎日、変化のある食生活を
三 食べすぎを避け、脂肪はひかえめに
四 お酒はほどほどに
五 たばこを少なくする
六 適量のビタミンと繊維質のものを多くとる
七 塩辛いものは少なめに、熱いものはさましてから
八 こげた部分はさける
九 かびの生えたものに注意
十 日光に当りすぎない
十一 適度にスポ−ツをする
十二 体を清潔に
「養生訓」のようなものだが、いずれも日常生活に関する項目であり、自分ができること、こんな生活をすればガンになる確率は少なくなると考えられるもので、いずれもそれなりの根拠があってのものである。その上「ガンは発見が早ければ早いほど治る率も高くなります」と「年に一度は定期検診を受けましょう」と云っている。
「ガンには十二ぶんにお気をつけください」
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