Part 3

直亮より(昭和22年1月1日篠山発 大阪宛)

 

「今除夜の鐘がマイクを通して流れ出てゐます。昭和21年から22年への二十六歳から二十七歳の春を迎へたわけですが 終戦後混沌たる日本に於て自己を反省し自分を再発見しそして何か信ずるものをつかもうと迷えるままに年をこしてゐる姿です」

「この前はお菓子を有り難う 多分君が心をこめてくれたであろうあの菓子を うまいともいわずむしゃむしゃと食べてしまった僕」

「君とお母さんとの間のお話と態度等から まだまだ君はねんね(お母さんこ、子供っぽい お嬢さん)だなと感じた僕」

「良いものはこうであるべきだと理想といったものを頭の中で考へすぎはしないかと思はれる僕」

「君を一番僕に適していると認めている僕」「そして頭の中では女の中で一番幸福な女の人になれるだろうと そほしてみせると夢をえがいてゐる僕」

「医学部を卒業したことが単に医者の免状をもらうのではない もっと広い意味の教養なり物の考え方をみにつけてくれたと考へたい僕」「そして幸いにも獲得し得た一つの学問がさらに将来への原動力となってくれるであろう もっと勉強したいと思ってゐる僕」

「そして東京へでてやって行く内 又色々の考えが頭の中をめぐって来ます」

「男一匹 独立せずして何だ 一体お前は何をやろうと云うのだ 現在の状態では何時まで勉強して行けるのだ インフレが高じてどうするのだ お前はお前一人生活してゆくのにようようなのに 二人となってどほしてやって行く気なのか お前のすばらしい夢が何分の一実現できると思ってゐるのか」

「お前はかつて雲仙から手紙を出したときの様にはっきり英子さんを下さいと申し出る資格があるのか 資格のない者が 高尚な恋愛論など云ってゐたところで それは所詮地についてゐないのでないか」

「だが然し結婚といふものが男一人のものでない男女二人がお互いに建設して行くべきものだ お前一人で頭の中で考へてゐたところで それは問題にならぬ 一方的なものになってしまうだろう」

「お前と英子さんとの間で本当の恋いなら それは二人で解決すべき問題だろう」

「今日元旦の一時半になりました。

今夜は渡辺でお風呂をいただいて後 日本の戦争について兄弟連中と議論をやりました。若い者が或る問題についてお互いに意見を発表しデイスカッションするのは良い事です。家庭の中にあって一緒に大きな声で歌を合唱するのも気持ちの良いものですが又お互いの意見をたたかわすのも面白いものです。そして帰ってきたのが0時半です。それからこの手紙を書きはじめた訳です。

もし都合がつけば六日昼過ぎお宅へより七日0430発で上京したいと思っています」

英子様   直亮」

直亮より(昭和22年1月21日北多摩郡武蔵野吉祥寺慶大医学部清友寮発 小石川目白台日本女子大学春秋寮宛)

 

「こちらに移転して近くの研究室で毎日元気に通ってゐます。一人室に居て色々なことを考えてゐます。世の中のこと 日本のこと 学校のこと 家のこと 兄のこと というよりまず第一に君のことを」

「最後の学生生活を有意義に送りたまへ 色んなことやってみて体験してみて考へ そて”これだ”と思ふことをつかめたら幸いだと思ひます。新聞をよむこと ラジオを聞くこと そして本を読むこと 良い本 どれが良い本がみとめる頭と目を」

「最近アンドレ・モ−ロアの愛の哲学を読みました。お元気で」

英子さんより(昭和22年2月12日東京発 13日三鷹宛)

 

「早春も過ぎ寒さの中から早春のきざしが感じられる頃となりました。先日はお元気なお便り嬉しく拝見致しました。其の後お元気ですか。 八日はお待ちしていましたが遂にお出にならなくて残念でした。又三月に入ったらキットお遊びにいらして下さい。気候もよく暇も出来ると思ひますから」

「一月以降ご無沙汰しておりましたが私も一度も風邪をひかずとても元気です。この一月末からお室の下級生が二人高熱で寝付きおかげで随分看護の練習が出来ました。一人は猩紅熱らしく途中でお母様に引き渡し他の一人は脳膜炎の疑いで入院しましたが その後快方に向かってゐる様です。これと平行して論文提出がありましたが無事完成しました。おかげであれはよいものになったとよろこんでゐます。来る二十一日から最後の検定試験が始まります。あまり大した事もないと思ひますが もう二週間の頑張りです。三月一・二・三日は入試のため休業の六日は*節です。春の声と共に心も身も解放され今から楽しいプランを立てるのに心嬉しく感じてゐます。春は芽の吹き出る季節花の美しさ芳香をただよわせる頃万物が冬の試練から抜け出ておほらかに生きの喜びを感じる頃です。社会人としてはじめて学窓からはなたれ如何なる生活信条をもって歩んで行ったらよいのか 学生生活は一つの規範にはまって何らかの拘束を受けてゐたのですが、自然に自分の心のままの生活がはじまるとどれだけの進歩向上を目指すことが出来るのか この事は大丈夫ね引導して下さい」

「家庭の生活がこれから生涯続くのだと思ふと人間が生きて行くのもなかなか平凡な心理ではむづかしいと思ひます。また生き甲斐の問題になりますが本当に生を甘受出来る為には努力が大切になって来ますね。如何に限られた人生を有意義に自分の精神的満足ひいては世界人類の幸福のために貢献しようと思えば楽ではありません。がそれだけの抱負と理想は持ちたいものです」

「何しても精錬されたもの人類文化のレコ−ドが到達したものをみることは気持ちが良いものです。しかし一面自己にかへって考える時は才能のない事或いは才能があってもその過程に於いて*ばつれなかったかもしれない事が残念に思われます。こんな事を云うと笑われるかもしれませんが・・・」

「自分でもオカシイのでけど 女性の本分は使命は家政のあるのかもしれないけれど堅実な事はこんな所にあるのではなく情熱的でありたいと思ひます」

「先日女子大の音楽部と東大玉川学園日大の混声でベ−トベン第九コ−ラスが東京フィルハ−モニ管弦楽団で放送されたり東大で演奏されました。原語ははじめてなのに何とか六ケ月で仕上げたそうです。上手下手は別として学校へ閉じこもってゐた女子大が最初の出発で第九に取り付き混声で何とかやりとげた事は今後の女子大生の動向として喜ばしいことだと思ひます」

「この間の葉書(まず第一に君のことを)などと書くので先生がきっと苦笑していらっしゃるか 友達には誰も見られなかったけれど。 あまりはっきりお書きにならないで・・・」「恋愛は下級生には(ドナタデスカ)とお聞きになったのですけど 四年にはさすがにご遠慮のようです 聞かれたらと思って何時も用心してゐますけど おたずねがありません でももう察していらっしゃるでしょう」

「寮の生活は如何ですか。近ければよいのですけど 何かお役に立つ事があればと思います。食糧問題も長期になれば大変でしょう。妹と会うと何かオイシイモノタベタイなんて内緒話しに花が咲きます。健康保持抵抗増進を観念するとやはりその方に心が動きますので 何かよいものがあればさし上げたいと思ひますのよ。この間寮生で四五日寝て死んだ人がありました。気管支炎なのですけど油断がないません。何時も何か書こうと思いつつ書くこともなく筆をとるのでどこまで飛んで行くかわかりません」

「ご機嫌宜敷く 三月には遊びましょう お兄様に宜敷く」

直亮様     えい子」

直亮より(昭和22年2月17日三鷹発)

 

「手紙有り難う 久し振りで筆をもって君の心に便りを送ります」

「先日大泉からエビス迄 本当に君の心と一緒に歩いた気がしました。そして今君の手紙の中にその純粋さをみとめて居てくれることは誠に嬉しい気がします。まず第一に君との間にけがれのない真実なものであるべきだと思ってゐました。一人の人間として最も近かるべき間に於いてそほであることは第一の問題と考えてゐました。周囲の人達に色々なことを云われてもその根本に於いて自覚のある人は何物もおそれるえんりょする要ははないと考へています。これは僕自身の性格の云々する所かもしれませんが これからの生活に於いてお互いに理解しあっている以上 最も心強い原動力となることを信じて疑いません。君の性格のこと 理性的であるか 感情的であるか どうか どちらでも良いと思ひます。君と僕はそれはそんなことは考えなくてよいと思ひます。それはたしかによくあることだと思ひます。僕自身今迄そうであったかもしれないと思ってゐます。だが僕は自分の心の中で色々とめぐらして出来た考へを述べたのでなくて それはいはば衝動的に頭の中をかすめ通った考 思想なりをすぐ発表したいと思ふのです。それにはどうても相手が必要となって来ます。又その様に感じた事もすぐ発表することによって自分といふものが本当にいつわりなく表現されるものだと思ひます。 それは僕自身の少ない経験によれば自分自身に対する負担をかるくしてゐることはたしかです。それはさらに次ぎの段階へ進為の第一歩の様に思ってゐます」

「然し僕の考へでは君が感情とか理性とかいってなやんでゐる問題は 結婚といふ事実が解決してくれることを思ひます。僕自身或る瞬間に於いて或る感情に支配される時があります。これはだけど自然だと思ひます。その表現の方法が何であろうとも夫婦といふものは精神的結合だけで満たされるものでない事は事実だからです。然し一方から考へてこれは人およそ時代ばなれしたものの様に感じられます。僕等の友人の大部分又周囲の人達の話してゐることを行いそれらの中には今いったようなことはあまりにも見られません。僕はいつか君に あの人達はどほいう考えで生活してゐるのだろう 何が楽しみなのだろうと云ったことがありました。 或る人が僕に云いました。”そりゃ君 まず生きて行かなければならぬからね”と。そほです。 人間が生きてゐる以上 生きて行かなくてはならぬのです。然し生きて行って 夢をもてたらと思ふのです。又僕は抽象的なことを書いてしまひました。僕の頭の中はこんなことがかけめぐっています」

「次ぎに具体的なこと 1.新しい教室を見学にきませんか。日取時間いつでも なるべく休みに 吉祥寺の駅まで迎えに出ます。 時間さへわかれば。1.八日のこと何かお手紙でも下さったのですか 分からずしまいで失礼しました。八日十一日エビスの方へ行こうかと思いながら電話の便がなかったのでそのままになりました。1.議会を一度見学したい。1.極東裁判も何かつてはありませんか」

「叔母様みっちゃんによろしく」

英子様              直亮」

 

直亮より(昭和22年2月20日三鷹発)

 

「英子さんは”なぞ”がお好き と考へたのは僕の思い違いでしたか 十六日日曜の朝君の手紙でおこされて”パラッ”と出てきた切手を前にして読み切った時から考へて一人笑ってしまひました。それで今日は封書にてお便りする次第です。来るべき春を頭に置きながら君の胸が何かしらふくらがってきた様に感じられました。そして大変嬉しく思ひました」

「最近の僕の頭には三匹の馬が三つの問題に向かって一散にかけつづけてゐます。一つは恋愛・結婚・人間生活への問題 一つは学んで来た医学を中心とする学問の問題 そして一つは政治経済国家世界の問題です。敗戦を前後してスタ−トしたそれぞれの馬がそれぞれの方向にかけつづけてゐるのです。そしてその方向も分からずにある時にはこれ ある時にはあれと それに関する本等はくいいる様によみ そしてむち打ってゐるのです(何と抽象的なこと 分かりますか 僕はこんなことを考へ言うのが好きです) そして僕がそれぞれの馬にのっていずれも別の方向へ行ってしまふ気がしてならないのです。それが別々の方向に行かない様には三頭立の馬車であったらと思うのです。勿論君をのっけて そしてそれぞれにむち打って行けば これは一本道を行くことでしょう」

「こんなことを大根をきりながら人参をきざみながら考へてゐます。単純な生活の中に精神だけは正に一日中活動してゐます。本当の自分の生活の発見に 学問の上に 早く一本立ちになり得るだけのものをつかむ為に」

「先日映画キュリ−夫人をみました。最後で”dream and dream”という言葉がありました。学問の上で夢をみるということは或る土台のある人のみが云えることです。或る漠然たる考が或る方法によって方向づけられた時本当の夢が誕生し それをあくまで追究して行くことが科学者の夢と云うものだと思ひます。そしてそれを一生涯おって行った人は幸福であり おって行く人は幸福であると思ふのです」

「世の中のご夫婦といふものの生活が色々ある中に本当の夫婦は肉体的精神的結合の完全にあるのだと思ひます。どちらが不充分であってもいけないと思ひます。壷井の叔母様に云われたことはこんな点にあったのではないかと一人想像してゐます」

「思ったまま書いてみました。僕はこう思っているのです」

「ゲ−テの”ヘルマンとドロテア”を読んだことがありますか 一気に読み下した時の気持ちは何とも云えないよい気持ちでしした おほらかな 明るい そして力強い」

「十九日夜     今日はこれまで風邪をひかないように みちゃんにも」

英子様   直亮」

 英子さんより(昭和22年3月1日東京発 三鷹宛)

 

「弥生の空に桜のつぼみが目に見えてふくらんでまゐりました。春の訪れは豊かなあたたかさを感じさせます。二日一杯で学生最後の検定試験を無事終了しました。今日はいささか気抜けの形で人間は目標をもって生活してゐないとかえってつまらないものだと思ひました。今日から三日間入学試験があり最後のご奉公をさせられます。卒業も一ヶ月後に控えてやはり感慨無量なものがあります。十五年の学生生活を離れて如何に社会に妥協して行けるかそして社会人としての生活に一生涯続くのだと思ふと今更学生生活の環境が顧みられます。切手の件私自身のいたずらだと思っておかしくなりました。郵便局の窓で切手を買った時急に思いついて入れましたの。人が聞くとさぞ愉快だったと思ふでしょう」

「六日地久節で休日 中島先生の所に論文のお礼に行くつもりです。八日吉祥寺に行ってもよろしいか 十時迄授業ですから吉祥寺(医学部側)で十時半−四十分頃までにはいらしゃって下さいませ。急用の無い限り参ります。議会は本会議のある日なら何時でも券を取って呉れると思ひます。明日一松に行きますからたのんでおきますから何時がよいかお考えになって下さい。三月中旬頃まであるそうです。極東裁判も是非行きたいと思ってゐます。清瀬弁護人は両親の仲介人なの これをお世話下さる方を時々聞きますがはきっきりししませんから一緒に聞いてみます」

「卒業式は三月二十七日の予定です。この間壷井の叔母が大泉付近に家がありそうなのでどうですかといって来ました。おはいりになりますか。ではお元気で。八日を楽しみにしております」

「直亮様   英子」

「昨日は快晴にめぐまれよい心地で御座いました。さて傍聴券の件三月十三日(木)におとりしました。衆議院入り口に十一時頃秘書官宮崎氏を通しておもらいになって下さい。とりあえず一筆」

 

直亮より(昭和22年3月17日三鷹発)

 

「君の目と僕の目が会うとき僕は自分の身を強く反省させられ又君に対して君の弾力性のある若い心が一歩一歩或る良き方向へ(これが大切だと僕が思ってゐる)へ近づきつつあり又近づいてゐるのを感じます。この間君が思ってゐることを感じていることをそのままきかせてくれてうれしく思ひました」

「君がこの近くの卒業を期に或る決心をかためておきたいと思ふ気持ち もっともだと思ふし大切なことだと思ひます。僕自身対君との関係に於いて最後の段階の一つ手前に来ていることを強く感じますので僕の考へをのべ君の参考にしたいと思ひます」

「君がいつか女も良い意味に於て独立心をもちたいと思いますと云った気持ち又莫としながらも親のやっかいになりたくないと思ふ気持は まずこれからの女にとって一番大切なことをと。そこを徹底しなければ過去の日本の女の人達と同様の運命をとるであろと思はれます。女子大を出た女が一人で生きていけないこともあるまいが 教員といふ一つの資格がつくこともよかったことだし 又これから世の中はいついかなるともなりはてぬ時に何か自分によりどころが持てたら その女の人はとにかく立派に生きて行けると思ふし もし結婚後主人の不幸のあった場合等大いに力になるものだと思ひます」

「何故僕がこんなことを持ち出したかと云うと僕等の間に於いて共かせぎを前提としたいからです。これは僕が世の男の人の様にかせげないということを意味してゐる様ですが 僕自身は決して生活能力のない者だとは思っていません ただ現在の状態(勉強を続けて行くことが)それを一寸むずかしくしてゐる様に思われるからなのです。今勉強することと結婚すること(これは比較にならない問題かもしれませんが)天秤にかければ勉強の方が僕(僕等)にとって重いと思ふのです。 だが一人して生きて行ける者同士が二人して行けない道理はないといふのが僕の考へです。僕自身今一人でゐれば十なりの力が出せるのに結婚によってそれがへらされるといふことをさけるといふ考へはすてて少なくとも今の勉強を幾分なり続けて行くことがゆるされるならば二人の生活の為にあらゆる努力を致すべきであるといふ考へに至りました。それは具体的には生活費の大部分をかせぐ努力することを意味します。さて君の場合具体的にどう考へたらよいのでしょうか。色々の道はあることと思いますが 洋裁とかタイプとか等 将来子供が出来 そして家庭に生活 教育のことを考えれば 自分の家で出来ることが一番よさそうです」

「女子大の教育は所謂教養の教育で 今すぐ役に立つことはないのですから 何かやるにつけても  一応 おそわらなくてはならないでしせう。もし事情がゆるせば卒業後のしばらくはかかることを身につけるべく努力されたらと思ひます。お母さんの気持ちは分かりませんが君は君として考へるべきだと思ひます」

「僕は或る問題が或る解決に至ったときは仕事をしてゐても気持ちよく張り切ってやって行けます。僕等の問題に於いて或る解決点が見出されることを望んでゐます」

十七日

英子様   直亮」

「先日の衆議院の葉書 openned by 検閲の為 おくれて十六日入手 大分日数がかかります 残り少ない数日を楽しく思ふままに羽をのばしたまへ 最後の思い出に 自由な学生の生活に」

英子さんより(昭和22年7月17日大阪発 三鷹宛)

 

「今こそ わが世と鳴き交ふかわずの声が 白熱の太陽の直射に 夏は ふたたびめぐってまゐりました。 その後お変わりなく お勤めでいらっしゃいますか」

 「さて 先日来の事につきまして 私の気持ちを聞いて頂き 流れる山河の様に 清らかに 過去のすべてを流し去りたいと思います。 母に頂戴致しましたお手紙 又 御父上様から頂きましたお便りと共 拝見致し よく考えさせて頂きました。 私は早速御返事すべきだと思いましたが、丁度畑の忙しい時で御座いましたし 期日を経て考えを確立させた上でと思いましたので 延引いたしました様な次第で御座います」

「今度の事は一方的な見地から 私の我儘であり 性格的なものであり 過去を考へに入れますと 若年の気弱さ 自覚の至らなかった物だと存じてをります。 あなたも 私の性格の事はよくご存知だと存じます そしてやはり 私の気持ちから ありのままに思ってゐる事をすっかり聞いて頂きましょう」

「 あなたと交際させて頂いてをりました間 表面的には相互間につっこんだ理解もあり 或いは愛情も育ってゐた様に思はれました。でも私には あなた様が雲をつかむ様に思はれ本当に把握出来たのは今年になってからでした。昨年えびすへの道で”あなたの性質は大体わかった様でわからない”と申し、あなたも”そうだ”とおっしゃって二人ともつまりは相手の性格の点で同じ様な事を考えていることを知りました。あなたは今思へばすべてをさらけ出して下さった様で あたしにさへ殻の中にとじこもって自分の大切な宝を見せて下さらなかったのではないでしょうか。 私は何時も申し上げる様に思ったことは何でも云わないと気のすまない性格ですから 私の貧困な思想から十のことを考へ 感じていても 何と形容してよいか 何と意思を伝へたらよいかがわからなくなってウヤムヤに思いつつそのまま葬ってしまった事もあったかもしれませんけれど。 自然表面的にはよく気が合ったと申しませう この話題は色々年齢の問題で若人が新時代の考へ方によってその理想思想を同一水準にをいているために得た結果であると思います」

「お手紙拝見致しますと今度の事も私の自覚一つで決まると申されてをりますが 私自身と致しましては 三月卒業期に於て 自覚の上に立って将来を考へたので御座います その折りの事は三月度々お話致しました通りで御座います。 即 過去からの束縛から離れて自己の眼から社会を視 結婚を考へたいと。そして今度の事は 白紙にかへりたいとあなたに御了解を得たので御座います。あなたも 私の気持ちを充分汲んで下さったと喜んでおりましたのに すぐ後のお手紙で束縛はしないとおっしゃりながら事実においてほとんど妻にしてしまったというふうに見受けられ 心外に存じました。私は何時も束縛はしないとという声を右耳に聞きながら 左耳には当然自分の妻になるべきだといふ意思を強制(言葉が強かったらお許し下さい 私にはよい言葉が見つかりませんし 又そう思へました。 きれいに白紙になり 又元通りに感情のわだかまりなく生活してゆくには お互いにすっかり納得してまゐりたいと存じますので はっきり申し上げたいと思います)を感じた私達自身が弱かったのがいけなかったのですが ひきずられて来たような気が致します。 この点大いに罪があると恥じてをります。そして二人の話の中には一つの事柄に対して二人共共鳴肯定していながら全然解釈の仕方が違ってゐるのを知って慄然とした様な次第で御座います。これは最近に至りますます痛感しております 私には 丁度 表裏の考へ方をしているのを知って 我乍ら 意外に存じ あなたもさぞ解釈に苦しんでいらしゃる事があると存じますけど 仕方ない事だと存じます」

「三月末お話し合ったことを四月に御帰篠なさいました時何も御両親様にお伝えにならなかった様に承ってをりますけれど御両親様は先日当方よりの申入れにさぞや何の事かわからなくて驚かれました事と存じます。 私は自分の意思はすっかりあなたにお話してあるつもりで安心しておりました。 私の考へ方はあなたとお話していた頃と何ら変化はないつもりです。 でも三月に決心し あなたの仰せの通り私の自覚に立脚して私の最も進むべき道を選ぶのは私自身にかかって全く自由であると信じてをります。傍らから例え親兄弟が何と云っても自分の信念を覆したり妥協したり同情したりして考えへを変へないという強いものを持ってゐるつもりで御座います。」

「お手紙の中の事で少々私の意見を聞いて頂きたいと思います」

「先ず内職の事ですが 私が内職を恐れてゐる又母がどんな事があってもさせないと思ってゐられるか志れませんが・・・長い間ご交際願って私の勤労に対する考へがはっきり伝わっていないので残念に思います。又女子大に対する考方も誤解していらっしゃる様です。現に敗戦の苦しみが漸く深刻となって来た今日、凡そ自覚してゐる人間で勤労をいとふ人は先ずないと思ってをります。本当に一日も * とるために”働ざるは食ふべからず”というまだ甘いスロ−ガンから ”働かねば生きていけない”(少なくとも良心的に生活している人にとって)時代になってゐます 夫婦生活がどんなに物質的に或は物質から精神上にまで延長して如何に困難であるかといふ事は同年位の人の生活をみて身に沁みてわかってゐます でも家庭を形成するにはあなたが考へ設計していらしゃるのは、机上の空論の域を出ない様に思へます。生意気な言分かもしれませんけれど現実はもっともっと冷酷なものであり苦難を通り越してみじめを呼ぶものであると思われます。内職についてもいろいろお考へになってゐるように伺ひましたけれど女が本当に理想を持って或いは必然的のみでもしれませんが家事を行ふに現実には殆ど内職の余裕はありませんしたとへあったとしても月給の様に確実なのもではなくすっかりあてに出来るものではありません。私は貧しくても耐へうる覚悟はしてゐるつもりで御座いますけれど窮乏生活の中にも理想の焔を燃やし人間性を尊重して生きてまゐりたいと思っております。唯今この生活でも休息享楽の時間は殆ど与へられず生きるための人間性の鍛錬のために日頃励んでをります。私は家事を処理し食糧を手作りして家庭雑事にいそしむだけで大きな内職だと思っております。子供のある家庭では女中ををかないという事だけで大きな経済だと思ひます。こんな事は云いたくありませんけれどさつま芋を百貫収穫しても今年大阪では一万円の価値になります。副食物を全然買はないだけでも眼にたたない苦労が必要です。母も子供を人形にしたてて満足してゐないでせうし私から申し出たことは必ず許してくれると信じてをります。女子大といふ所も女性を真に目覚ませ宗教的使命の見地を去って人生を創造してゆける力を養ってくれたと思います。女子大は令嬢の遊びにゆくことと世間は見てゐるかもしれませんけれど、本当は人間的自立の実力を持ってゐるのは女子大で教育を受けた人で女学校だけの人は生への迫力と理想がかけてゐると私達には思われます。女学校を出た時はこれで一人前だと一応は思った私達でしたが学生時代を重ねるに及んで不完全な個人の反省無信仰な生活など認めることが出来てかっての自己満足の如何に低級なものであったかといふ事に思ひ当たりました。人間は一生自省し謙譲を心がけていかなければならないと痛感致します」

「大黒柱とも云うべき中心人物が欠けてをります。それだけに内面的に親は子を思ひ、子は親の幸せを心から祈っております。私の母は自分が真愛をこめて仕える人、生きる喜びを共にする人がありませんから、それを子供に求めていゐます。子供も当然父に求めなければならなぬ事も母に二重に求めて時には困らせてゐます。しかし本当の話になり意思が通じた時は自己を犠牲にしてまでも他をよくしたいと思って思わず皆が泣いてしまう事もあります。佐々木様は皆お揃いになって家庭円満に育やかな雰囲気の中に今迄いらしゃったし今後もますます和やかにいらしゃることでしょう。が、私達の不遇の者にはそれだけにご両親様とお子様は別個に生きていらしゃるし全然私達の様な詳細な交渉もなければ心を開いてすべてを共に語り他をも自とするという様なところがお見受け出来ない様に思ひます。又母上様は四十年間只只菅御父上様と共にありすべてをささげ頼っておられましたから十年たらずで父と別れた母の気持ちがすかりお分かりにならないと思ひます。それだけに夫の分をも子供の中に見出すという気持も全部が全部理解して頂けないのもご尤もと思ひ又お子様がたった一人ぼっちの母をたすけ見守って少しでも不幸を幸福にうつしかえて上げようという気持ちもおわかり頂けないのがあたり前だと存じます。が私達姉弟は何時も先ずその事を考へております。そして今度の事も私がお話したことをすっかり御両親様にお話になり、その上であなたの新しいお考えをもお話になって御両親様が納得され御安心なさるようにしてさし上げられたらと存じます。結婚等というものは理論的に定義づけられず確答がえらるべきものでは御座いません。倫理学的にも説明できない人間感情と多くの総合事情の結果の如何によるものだと思ひます」

「あたしは長い間ご交際願ってあなた様が”よい方”だと ”将来性のある方だ”という事はよくわかってをります。それだけに私はどんな事があってもきれいに忘れて頂いて本当に一生伴侶となさるあなたに一番ふさわしい方を見付けて一生変わざる真の幸福な家庭をお持ちになって下さる事を心から願ってゐる者で御座います。きっとよい方があると信じて私も本当に御縁のある立派な方をみつけてさしあげたいとも思ひます」

「長々とかいてまゐりました。過去はやっぱり御縁のないものとして私の言葉をつたないものながら充分お汲みくださる様。昨夏母が一応貰って頂く様にとは申しましたものの、あれから時代はますます深刻を極めあの時夢の様にしか自覚出来なかった自分の姿への批判も漸く確信され三月の事を経過して今日に至りました。私自身のおぼしめしに沿ふ事の出来ぬ事を本当に遺憾に思ひつつ二人が別れて真の幸をさづかり人生を楽しく歩める家庭を営める日を神かけて祈ってをります」

「このつたない乍らまことの手紙を最後にして絶対後を追って下さいません様に切にお願い致します。私の気持ちは浮き草のように漂って夢みてゐるものでは御座いません。蔭乍ら人生に益々生きられ美しく朗らかにしかも真剣に新しい希望にあふれた道を一歩づつ登って行かれます様に」

「最後に頂戴致しましたお手紙とお写真は別便でご希望通りお返しいたします。折り返し私の手紙写真お送りくださいませ」

「山泉の汲めどもつきない情 の様に純粋に清らかにお別れ致し度う御座います。何卒ご両親様に宜敷お伝え下さいませ       かしこ」 

                  

七月十七日夜

佐々木直亮様                     山本英子」

 直亮より返事(昭和22年7月25日三鷹発 大阪宛)

 

 「お手紙確かに拝見しました。あのお手紙繰り返し読むうちに率直な所 実に複雑な感情にうたれました。色々考へてみた上 僕は僕の態度を明示すべきだと思ひお返事をさし上げる次第です」

「 第一に色々なことが去る三月話し合った時のあなたの表現を私が理解したものとあなたが思って居た事と相違した為(あなたの手紙によれば)から出発してゐたらしく思われます」

 「あなたが日記を前にして僕に話してくれた事を僕が僕の目で理解しそして白紙にかへして考へてみたいと云われたこと迄はは小生も充分理解してゐました」

 「”あなたは私をどうお思ひですか?私は或る考へに到ったった時晴々としました 私とあなたを或るしばられたものから愛す様にされてゐた(これでもよいのですが)のではなくてあなた自身がいうことはあなたの上にえがかれてゐたものをあこがれてゐた 夢みてゐたのではなくてあなたそのものはひかれるものを自分でみとめたことです。そしてそれが精神的には完全なものであっても結婚といふことは経済問題も関係しそれが問題となると思ひます。そして卒業の期迄にはきり或る気持ちをきめておきたいのです(勿論私だけの意見で母の意見ではありませんが祖父もお母さんにたよってはいけないよと云われ私も独立してやりたいと思ひますが)又家へかへっても社会人としての生活に若い者の情熱が失われてしまふかもしれないので出来るなら若い時代に結婚したい然しこの際色々な方の意見を聞き又今迄のことにとらわれなく白紙にかへって判断したいと思ふのです。・・・15/3付けの小生の日記に書いてありました」

「そしてあなたの判断を待っていゐました。それは当然小生に向かってなされるものと思ってゐました。そして今はじめてあなたの判断をあなたの手紙から知ったわけです。あなたが現実をみ 種々の意見からあの様な判断を下されたことは率直なところ残念でした。小生が東京に出る事を決心したときすでに今日あるを予感しないわけではありませんでした」

「然し英子さんからきっとこの最後の点も乗り越えてくれる事を信じて君が(否私達が)まだ当時夢の様な漠然としたものの中にさまよってゐたなかを引きづって来たのです。二人の生活に最後の責任を持ち得ない現在の僕としての生活の設計は机上の空論といはれても仕方がありませ がその点を乗り切って二人して建設すべきだと考へてゐました」

「この段階に至って僕は如何にすべきか色々と考へみました」

「ご希望により写真御手紙お返しします。この様なつながりが君の将来の色々なお話に差しつかへる様なことがあってはばからしい事ですから」

「然し僕はやはり僕の目を信じそして僕の心を信じたいと思ひます。

即 僕はあくまでも君を対称と考へ夢の中から社会にめざめ自己に目覚めた君にしてはじめて価値がありあれほど迄に理解しあった二人が結びつけられないわけはないと思ひ、君の為又僕の為二人が結びつくことが二人の幸福であり僕の目が君をみとめるなり君が縁あって他の最もよいと思はれる方と結婚生活に入る迄 僕は僕の道をあらゆる意味でいずれは来るべき日の為の努力し競争して行きたいと思ひます」

「これはあなたが認めるとかみとめないとかいふ問題ではなく僕自身の行くべき唯一つの最も正き道と信じてこの手紙を書いてゐる次第です」

「何卒我が真情を理解される事を祈ります」

「お母上様には現在二人の生活の責任を持てない男が恋愛だ結婚だと大切なお嬢様を引きつづけた事に深くおわび申しあげます。

何卒小生などには何の気兼ねもいらず最もよいと思われる方との交際なりなんなり自由になされ下さる様お伝へ願います」

「君が理解してくれた様に 一方では君の自由と云い一方では僕の意思を強制とは僕の愛情なのですから」

英子様     直亮」                 

直亮より両親への手紙 (昭和23年6月17日)

 

 問:どうだった。

 答:大阪で次郎君から二人共東京と聞いたので杉山へより十五日夜帰京十六日一松さんの官舎へ行きました。丁度山本叔母様外出中にて一松大叔母様にお会いしました。その席上小生の問いに対して叔母様の口から英子さんはすでに式を挙げておられることを知り今回は叔母様は一人歯の治療のため上京とのことを知りました。

 問:お前はそれでどうしたかね。

 答:それを聞くまでは叔母様英子さんに会わしていただきたいと申出た自分でしたが、今となっては僕の第一の恋愛は 終わりをつげたと思い、今迄色々と引きずって来ておことわりの手紙を頂戴していながら一方的に解釈しふるまって来て色々御心労を煩わしたこと深くお詫びし、元気に御暮らしになるようにお伝え願いますと。又今後とも親戚の者として色々お世話になることもあると思います。今までのことには関係なくよろしく願いますと山本の叔母様の帰りをまたず失礼してきました。

 問:お前は結局ばかをみたね。こちらにしらせずに結婚してしまうなんて礼儀をしらんね。

 答:僕はそうとは思いません。第一に自分がその資格がないにもかかはらず、愛の宣告をし、まだぼんやりした所を引っ張ってきて、幾分愛情をめばえさせ、そして最後にそれを実現させる迄に至らせ得なかった事に深く詫びざるを得ないと思います。こちらに知らせずに結婚した事は一向失礼でもなく、はっきり断りの手紙を貰いながら一方的に考えつづけていた自分に罪があるので英子さんの決心には自分の足りなかった事を云うだけで結果についてかれこれ云う資格は一切ないと思います。

 問:お前はきっと待っていてくれると思ひ表面上はことわりの手紙を書いてきたと思ってたのだろうけれど結婚したことが事実とすれば明らかにお前の目の判断が間違って居たわけだね。お前とは約束して居たのではないんだね。

 答:この点は未だ僕の気持ちの中でわり切れない問題としてのこっている点です。英子さんに会う機会がないかぎり永久に未解決でおわってしまうでしょう。

 然し問題を分析しておけば次ぎの如くになります。

 1.僕がきらいになった。精神的に。

 表面上だけ愛情が芽生えたとか愛しているとかいわしめていた。この結果女の甘言にほんろうされていた。その結果最終の点はのり切り得なかった。

 2.恋愛とか結婚についての考えが僕の程度(僕の解釈)迄至っていなかった。

 即ち 愛し愛された者同士は他のあらゆることを乗り越えてお互いに努力すべきである。

 この程度、考え方が一方的だったために そこまでに至らされる努力が足りなかった為に その最もとほといと思っていたものが 他のあらゆる障害にわざわいされて(経済的 兄の結婚問題 他人の助言 今まで育ってきた環境)しまった。

 その為愛してはいながら 自分が身を引くことが 直亮さんを幸福にし 自分も色々な点で都合のよくいく結婚生活に入る方が幸福がつかめる と思った。

 そして一の点ならば 僕だけがほんとうにばかにされただけで 問題はしごく簡単ですが 二の点であったら 僕の努力が足りなかった点で何とも残念なことになり 深くお詫びしなければならないことと思います。

 問:お前はいわば男として にえ湯をのまされた立場にたたされたのに よくも平気でこんなことを書いていられるね。 お前も男なら 一つすばらしい人をもらって みかえしてやりたくないかね お前は自分の頭だけで色々と考えて 本当に実行になると 一向いかんね。

 答:これが僕らしい所でしょう。 僕も今迄色々考えてかかる態度をとって来たのでしょう。 僕の精神が健全であるかぎり 変わらないことでしょう。 だが本当に不幸なことに 僕の第一の恋愛は終末をつげたわけです。 

 そして僕の今の勉強が一人の犠牲がともなったわけですから 今までにもまして勉強しなければならないと思っています。

 問:これから先 何か別の話があったらお前はどほするかね。

 答:その様な機会を与えられることは有り難いことだと思います。だが根本的な条件としてお互いに恋愛感情を有する様になってから とは云うまでもないでしょう。

 問:今後山本さんと会うときは何かきまずいことになり、

 答:かかる原因をつくった事は申しわけありませんが 従前通り平らな気持ちでいられる様希望します。

 十七日

 父上母上様     直亮」

「杉山さんに一泊親しく叔父様と面接」「尚山本叔母様に手紙をだしておきました」

もとへもどる